CDBが『「一線」のない運動』『終わりも目的地もない運動』だと宣言した。
https://twitter.com/c4dbeginner/status/1231003694033883137?s=21
サイアクだ。
しかしこれは、実際に宣言はなされて、そうでない論を述べていた他の人たちの見解は上書きされてしまったと考えるべきだろう。
CDBが大物だという意味なんかではない。だがそうなんだ。これは冷静にそう位置付けて、なんとか次善の策を探るべき状況だ。
だれか、チャートやポンチ絵というふうな、図解などを用いてこれをさらに(上書きとはいわないから)再宣言してくれる者はいないか。
私たちが女性の人権を目の前にするときに、ひとり一党派であっても、ひとり一民族であっても、それはとにかく何でも良い。
しかしそれはそれとしておいても、いま示す必要があるのは、私たちはなぜあの批判が可能であったのか? なぜ個々の「お気持ち」ではなく、合意を分かち合えていたように感じることができていたのか? ここにある価値とは何か? そのことをあらためて手渡しできる形で取り戻すことが必要だ。
さもなくば……は、まだ俎上にあげたくない。
どうか、たのむ。
ただの集団ヒステリーでしかなかったということ
お前がやるんやで
たのむよ〜。