きりきり働きながら後輩たちを指導する雇われ店長の姿を見てなんとも陰鬱な気持ちになった。この男はこんなに働いても、おそらく私ほど稼いでいない。まさに会社の一部品の取り替えが効く存在として生きて何が嬉しいのだろう。どんな生い立ちをしているのだろうか。どんな学生時代を過ごしたのだろう?その頃どんな夢を見ていたのだろうか?ドトールの店長になるために生まれきたわけでもあるまいに。
この店長と同じく私を含めてこの店にいる客たちもまたこの資本主義社会の部品にすぎない。無個性な交換可能な存在として、資本の増殖に奉仕するだけだ。そういう現実が見えてしまうからチェーン店は嫌いなのだ。
なのに今日はドトールに来てしまった。なぜかそういう気分だったのだ。そしていつものように部品としての自分を再確認したわけだ。やれやれ。
やれやれ、僕は射精した。
取替の効く存在であることは、個人が簡単に捨てられることを意味するかもしれないが、取替の効かない個人でできた社会とはクオリティの低い社会でもある。 お前がドトールに来てし...
そして僕は手に入れられない満ち足りた人生を探し続けるだろう ドトールのホットコーヒーを飲みながら再確認した