「苦痛を感じる」と言う線引き、それ自体に下等、上等と言う階級的な目を見てしまうというのも、もちろんあるのだけど
もう一つとして、個人的に、ヴィーガンやアニマルライツはやっぱり個々人の感じる「可哀想」と言う感情から逃れられないと感じているからだ。
この「可哀想」というのは非論理的なものとして多々揶揄されるが、やっぱりどっかあるのでそれを否定するつもりはないのだけど、そのお気持ちに立った時「植物をバッサバッサとされて人は痛みを感じないのか?」と言われたら、おそらくNOだと思う。
これは戦時中の大樹の話だとか、花を踏み荒らす事だとか、そういう話から多かれ少なかれ「人は植物にも共感して痛みを感じてしまう」のだと思うのだ。
はっきり言って俺のこの主張もお気持ちでしかないんだが、ヴィーガン、アニマルライツ界隈でされるお気持ち的なアプローチを見てるとこういう考えを無碍して「植物は食ってOK!」と言うのはどうなんだろうと思う。
植物に対するストレスという言葉を使う本を読むと植物もストレス感じてるのだろうなとは思う
そういう一面的な話じゃなくてさ。 それだけでなく「脊椎動物を優先的に保護して何が悪いの?」っていうのが例の増田の主張なわけ。 ヒトに近い生物を優先的に保護することは、平等...
そんならじゃあなんで、「人を優先させて悪いの?」って話だろ 功利主義の「脊椎動物の苦痛」にかける比重の話になるなら、その比重が大きくないといけない根拠について苦痛を感じ...
そりゃ可愛そうだからな。。。 犬猫を可愛がって蚊を躊躇わず殺すことの延長に理屈を張り巡らせただけだし。
すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。 = 青草は殺してOK
結局キリストの押し付けか? 飽きねー奴だな
あいつらの主張って結局これでしょ、すべてのビーガン派閥がこれで説明できちゃう。だからこれを元に拒絶を推していくのが良いと思うんだよね。