2019-04-13

どうしてResistanceは負けるのか

東京記憶もそろそろ薄れてきたので書く。

どうしてResistanceは負けるのか。

始まる前から今回も負けるんだろうな、とは思っていた。

作戦という作戦がまるきりなっていなかった。

一人ひとりが今回のやらねばならないことを理解し、それぞれが考えながら動く、たったそれだけのことがこれだけ何度負けたとしてもできないのだ。

何かをするにしても周囲にお伺いを立てて動くものばかりだった。それは組織として今までそうだったからかもしれない。

根本的に人の考えで動いて、うまくいかなければ他人のせいにする、自分で考えることのできない、そんな奴らの集まりだった。

思えば地元でのゲームにおいてそうだった。

人数が多く、自由にやっていると声をかけてきて仲良くなったふりをして全体の恩恵のためにといいつつ本当は自分利益のために動かされる、そんな経験ばかりした。

意味不明に反転をしても地域で声のでかいやつであったら問題はなくそうではないクソ雑魚自分などはつるし上げられた。

少数で自由にやっている緑はとても楽しそうだった。

今回の東京も。

生活においても、自分の頭で考えたこともないやつらが多いのかもしれない。

Resistanceっていう響きにあこがれるってことは、実生活において抑圧されているってことだ。

抑圧される存在とは何か。常日頃自分搾取されている、もっとすごいはずなのに、認められていいはずなのに、とくすぶっている連中。

自分のことだ。

まあ、やめる決心がついた、っていうところ。

こういうこと言うやつはすぐ戻ってくるもんだけどね。

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