上野千鶴子氏の祝辞を見て一番違和感を覚えたのは、「全部が全部環境のおかげ」であると言い放ったことなんだよな。
これは非常に危険な考えなんだ。こういうセリフを言う人がなにか悪いことがあった際に次に言う言葉は「環境が悪い。全部環境のせいだ」なんだよ。
気持ちはわかる。全部環境のせいにするのはすごく気が楽だ。なんせ自分の責任ではなくなるからだ。こういうのは、気を病んでしまった人に対して言うには効果的な場面もあるかもしれない。
だが違う。環境のせいにするとはすなわち、「自分ではどうすることもできない」という考えになる。
こうなると、もはやその人の、それ以上の向上は期待できない。なんせ自分のせいではないから。
成長をしたいなら、すべてを環境のせいにするのではなく、すべて自分のせい、あるいは自分のおかげと考えるしかない。
何をするにも、どういう選択をするのも、全て自分で決めたことだ。家庭環境が悪いとかもあるかもしれない。でも、そんな環境でも立派に成長できる人はいる。
なぜ同じ境遇の人もいるのに、その人にはできることができて、自分にはできない?全部お前のせいだ。
男女差も関係ない。環境も運も才能も関係ない。親も社会も関係ない。この世のあらゆる事象は自分のおかげであり、自分のせいだ。
優劣がつけられる、世界中のあらゆる事項について、女性が男性に勝てるものが一つとしてあるの?例を上げてくれよ 女性の劣後を認めず、全部環境のせいにするの? 女性専用車両だ...
上野千鶴子氏の祝辞を見て一番違和感を覚えたのは、「全部が全部環境のおかげ」であると言い放ったことなんだよな。 これは非常に危険な考えなんだ。こういうセリフを言う人がなに...
性別が関係ないと主張する男はチンコをきってからどうぞ
第二の湯川遥菜になれと言うのか
自己責任論であっても周囲に感謝することは両立できるんだが おまえはただ一人クズいな
同等だと言い張ることによって世間に強制的に同等だと認識させる戦法やぞ
出産とか寿命とかいろいろあるやない
全部とは言ってないだろう
おかげとせいは全然ちがうよ、心持ちとか心映えが まあ心がわからんやつにはわからんか