知性が「Cogito ergo sum」が個に生じた状態であり、その思念こそが創造の源なのであれば、ある特定の時空間軸で萌芽した知性は、宇宙創造時から存続していた「大いなる良」の状態である知性、言わば大いなる知性と、「場所や物質的なものに一切依存する必要のない」状態で、相互依存による共存共栄をすることが本来可能である。
ある時空間軸においてはこの状態がより顕著に物理的に確認出来るが、ある時空間軸では、それが必ずしも物理的に確認出来ない。従って、これらの知性は「大いなる知性」との連結が困難となる。このような時空間軸においては、知性とは本質的に物理的有機物に隷属して存在するものであり、従って、その存続の如何も物理的有機物の生死に依存するという概念こそが「真」であると、自らまたは社会システムにより認識の刷り込みが行われる。これらが「限定的知性」である。