2018-06-28

殺される側にも責任がある、という暴論

そんなことを言い始めたら、世の中で起きる事件・事案の収拾が付かなくなるぞ。

例えば2001年6月に起きた大阪池田小学校宅間守事件について。

宅間守自身の報われない半生に自暴自棄になり、未来ある子供たちを狙う事件を起こした。

殺された子供たちは、宅間のようなしょうもない人間劣等感絶望感を刺激する存在であった。

から、殺された子供たちにも責任がある。みたいな論理を展開されたらどう思う?

hagex氏が低能テロリスト絶望感を煽ったことは事実だろう。

しかし、その程度の理由殺人正当化されてしまったら、この社会は「殺した者勝ち」になるぞ。

  • 低能先生が殺人を犯したのは社会のせい理論も同じようなもんだぞ。

    • 確かに。 「死んだ人の悪口を(あまり)言わないようにする」的な礼儀作法としてはともかく、「加害者の犯意を構成した要素に被害者の言動は決して入れてはならない!」と聖域化す...

  • 別によくね

  • 前世で悪いことをしたから、殺されたと考える宗教もあるからなぁ・・・

    • 大多数の言説ならともかく、ごく一部の言説を持ってきて こういうのもあるぞ って提案するのなんなの? もう収集付かんわ

      • おまえが収集つけなくて誰がつけるっていうんだ がんばれよ

        • 何故自分が頑張らなきゃならないのか 飯の話してる時に、人間はうんこも食べるのでうんこは食べ物!とか、土も食おうと思えば食える。とか主張する奴がひっきりなしに入ってきたら...

  • むしろすでになってるまである

  • 暴論でもなんでもなく 殺される側に責任がない場合もあれば 責任がある場合もあるだけの話

  • 東大阪大学の事件は被害者に3割ぐらい過失がある気がするが そういう例は極稀ではあるな

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