試合後に監督が「こいつが成長してくれるのならそれでいい。相手のことは考えなくていい」と言い、コーチは「優しすぎるところが駄目なんだ。相手に悪いと思ったんだろ」と言ったそうだ。
監督やコーチが心の底から「自分の所属する集団のためなら平気で違法行為をしたり他人を陥れる人間になること」を「人格的成長」と捉えていて、他人への共感・同情のためにそういうことができない選手を「ダメな奴、社会で通用しない奴」だと思っていたとしたら、この指導は監督やコーチにとっては本当に「選手を成長させるための善意」だったに違いない。
人は善意でも犯罪ができる 神風特攻隊で、若者が「死んで来い」「一人でも多く鬼畜米英を殺して来い」と言われたのは、日本と天皇陛下を守るためだった。 日大アメフト部も、秋季戦...
スポーツマンと犯罪者の違い ルールを守る=スポーツマン ルールを守らない=犯罪者 よって、日大アメフト部の監督とコーチは犯罪者を養成していた。
でも実際そうだろ スポーツ系の学生が社会で重宝されたのってそういう上意下達・滅私奉公・勝利至上主義が理由であって、別に日大に限った話でもない 古い世界だなーとは思うけどま...