誰よりも劣っている自分が人に見えるところで行動を起こす以上、手を抜きや失敗は許されない。緊張で吐きそうになる。
あらゆる挙動が自らの人格と漏れなく紐付けされる。誰よりも劣っている自分が集団に適応できない人間未満の動物という格付けをされるのは自明の理であり、集団はケダモノを排除しようとする。合理的。嫌な気持ち。
そうならないために、自分を見せるために必死になる。取り繕おうとする。手抜きや失敗は許されない。
インターネットは安全。インターネットには人に見せるということを考慮しないで作られた、個人と紐付けされないデータが溢れていて、そこにゴミ、屑、クソ、何を投げ込もうが、それが人格の一部になり人間未満の扱いをされるということはない。奇特な人から好意的に見られるまである。インターネットは安心。インターネットは楽。
本気でこれ以上ないところまで取り繕って、ようやく「みんな」が何も意識せず維持している人間というステージに立てる可能性が出てくるのが現実。確実さの欠片もない。苦しみながらそれを掴んだとして、一度こぼれ落ちたら確実に復帰することはできない。というかできていない。