ある根拠でAを批判しているのにどうして同じ根拠でBを批判しないのか、という糾弾に対して、「すべてを批判することはできない」「時間が限られている」「労力が限られている」という反論がある。
これは正しいように思える。しかし、糾弾の意図は組んでいない。もちろん、糾弾される側が意図を汲んであげる必要はないけど。
糾弾している側の意図としては、「その根拠でAを批判しているなら、Bも批判することになる。しかし、あなたたちはBまで批判しなくていいと思っているんじゃないか。私たちはそう思う。もしあなたと私がその感覚を共有できるなら、Aを批判するその根拠は、根拠として足りないんじゃないか」みたいなことが言いたいのではないかと思う。
「お前の根拠を使うと、これも攻撃できる。お前がそれを攻撃しなければならないとは言わないが、俺が攻撃する。その攻撃を止めたいなら、お前は自分が使っている根拠を間違っていると言え」
実際はAを攻撃したいだけなのに 攻撃力が高いからという理由だけでAとB両方が対象になるロジックを使用する人間が多すぎるんだよ だから自衛のためにBも攻撃できるのにしないのはAを...
そもそも自分の主張に反する文章など、誰も読みたくないのだから。 身も蓋もないとはいえ結局これが全てだと思う。 "自分の主張に反する文章"を受け入れて議論を深めていける人は...
「作品Aを批判するなら作品Bも」というその論を出した時点では「いや、君は作品Aと作品Bが同じみたいに言っているけど、AとBは違うよ」という反論がなされ、その論議が進ん...
そこで「Aを攻撃する理由が主張通りのものであり、それだけである」のなら、そもそも同じ理由をもつBを攻撃しない理由がないでしょ。リソース問題があったとしても、BではなくAを選...