おばあさんの旦那さんが戦艦大和の乗組員だったが、その旦那さんのお父さんが旦那さんの上官に
「一人息子だから次の作戦からは外して欲しい」と嘆願して作戦から外れることになった。
その作戦で大和は沈没してしまうことになったが、その旦那さんは周りに「僕は大和の生き残りなんだ」と
紛らわしいことを言っていたいう。
戦争の末期頃、まだ若いおばあさんが駅を歩いてたとき、兵隊さんに扇子に名前と住所を書いてくれるようお願いされた。
おばあさんが不思議に思い書いて上げると兵隊さんは、自分は特攻隊員であり、もし生き残ったらお会いしに行きますと言って
その後、おばあさんはその兵隊さんには会っていない。
終戦後、おばあさんが用事で九州に向うために広島駅を通る電車が、たまたま原爆投下後初めて広島駅に寄る列車だった。
広島駅の周りにはキャベツの葉を頭に被った多くの被爆者の人たちが集まっていた。(キャベツの葉は頭を冷やしてくれると思われていた)
広島駅に着くと、列車の窓からたくさんの手が伸びてきた。駅に集まっていた人たちが、おばあさんがそのとき食べていたおにぎりを無心しにきたのだった。