俺はゲイやってんだけど
「同性愛を攻撃してもいい」という発想の差別主義者が一部にいることが気になってる。
でもそれと同じくらい気になっているのは「多様性を受け入れない奴を攻撃してもいい」みたいな発想の差別主義者も一部にいること。
つまり、一部の差別主義者における、同性愛擁護派/慎重派の思想は
差別主義者自身の、「攻撃したい気持ち」をいかに正当化するための道具でしかないんだなあと。
いうなら「攻撃主義者」ということなんだと思う。(それともすでに名称はあるのかな?)
同性愛擁護派でも慎重派でも、丁寧に問題を解決しようと努力している人たちがいるのに
攻撃主義者の声が、同性愛擁護派/慎重派の意見という傘に隠れて
問題を解決する方向に話題がいかないことについて、悲しいことだと思う。
もっと俺が悲しいと思うのは
攻撃主義者自身が「気に入らない思想に攻撃したい気持ち」にさえ気づいてないことがあること。
その気持ちに気づいているけどあえて攻撃したいという、俺に言わせればタチの悪い人もいるけど、今回そこは置いておく。
では丁寧に問題を解決しようと努力している人がいないキモくて金のないおっさんのような存在は攻撃されてもいいということでしょうか
http://anond.hatelabo.jp/20170416143135 俺それもうはてなでことあるごとに何度も何度も書いてるけどちょっとずつしか変わらないね。 差別反対と言うのは「差別されてる人らの人生の障害を取り...
憎悪と快楽の区別もつけられない低能