真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
人は何かを表明したい生き物なのさ。
動機であったり、どういう形で、どこに比重を置くかという違いはあるけれど。
内容についてはともかく、行為そのものに是非を求めても仕方がない。
「何が好きかで自分を語れよ」というセリフがあるが、「何が嫌いかで自分を語る」ことだって大事だ。
もちろん何かが嫌いであるせいで、誰かにツラい思いをさせることっていうのは往々にしてあるけれど、何かが好きであることで起こる弊害だってあるかもしれない。
側面的に見ればありえることだ。
それに評価の対象とは、賞賛の対象にもなるし批判の対象にもなる可能性のあるものだ。
何かを「好き」であることも同様に、「嫌い」だと表明することも享受するべきだろう。
もちろん、表明した内容に対してどうリアクションするかもね(ここを誤解している人もたまにいるが)。
まあ、それは個人が決めることだが、存在そのものまで消去しようとするのは無茶だよ。
……「インターステラー」?