あれの根本は、ぐちゃぐちゃ言ってたメガネを、『私』が顔やらファッションやら何やら自分より下に見てたってとこにあるんだと思う。
そして、あの『私』は『作品が大好き』なんじゃなくて、『「その作品を好き」な自分が好き』だったんだろ。
その作品を誉める≒そんな作品を好きな自分を誉めることなので、その格下に誉めてもらうために、上の立場である自分が『映画に誘ってやった』。
価値の分からない格下のために、真に評価すべき作品を教え、その作品を讃える感動を共有させてやろうと思った。
にもかかわらず、格下の存在はその作品を「最悪だね」と評し、作画や脚本、演出を否定した。
つまり、『その作品を好きな自分(上位者である自分)』が「最悪だね」と評され、否定された。
格下の存在に。
だから、それ以降、格下の存在が「最悪だね」と評し、否定する作品を好きだと思えなくなった。
自分はその格下の存在よりも、上の立場のはずなのに、格下は『「自分が好き」な作品』を下に見ているのだから。
その『格下が下に見ている作品』を好きな自分は、まるで『格下よりも下の存在』みたいじゃないか。
『「その作品を好き」な自分が好き』になれなくなったじゃないか。
一人でも多くの人に知って欲しい
それどころか、
ファンにとって大切な思い出を、
ぶち壊すということを。
この二行目の「批判は何も産まれない」(なんつう変な日本語か)が、『批評』ではなく『批判』で、
そもそも「私」の方は男だし……