2016-01-17

自分コミュ障ではないのかもしれない

そもそも人に伝えたいことが無かった。

まり情報の送受信の障害ではなかったということ。

より公平な言い方をするのなら、伝えたいことが言語化できない、となるのだろうか。

カウンセリングを受けている時も、よく言葉に詰まる。

自分感情説明できない。

嬉しいのか、悲しいのか、苦しいのか、分からない。

なんだかおかしな感じだぞ、ということだけは分かるのでカウンセリングに通っている。

当然カウンセラーとは話が噛み合わず、ぐったりとしたまま帰ることになる。

自分の行動を説明できない。

何を考えてそんな行動を取ったのか、自分でも理解しがたいことが多々ある。

無意識のうちに行動を選択していることが多い。

夢遊病者というわけではないが。

自分の嗜好を説明できない。

関心のある分野なら話せるという人もいるが、私はそうではない。嫌いなものの方がまだ話せる。

好きだとか嫌いだとかいうは感覚ベースしか考えたことがない。

そこに理屈を持ち込んだときの虚飾臭さが、嫌で仕方がない。

先に理屈があって、好きになったわけではない。

言葉にならないもどかしさだけが確かに存在する。

しかし、この状態がつらいのか苦しいのか、それは自分にも分からない。

ただ、困惑しているのである

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