たとえば、銃で撃たれた人が銃大嫌いになるのはおかしなことじゃない。
性的虐待をされた人が性嫌悪や異性嫌悪になるのもありえるだろう。
福島原発で家に住めなくなった人が原発稼働反対になるのもわかる。
犬にひどく噛まれた人が犬嫌いになるのも。
全部同情すべき経験だし、それを嫌いになるのもわかる。
彼らの心をできるだけ慰めたいし、ましてや更なる傷を与えるなんてダメだ。
けれど、個人的経験によりそういう広い意味でのトラウマを抱えた人が、それに突き動かされて運動を始めた時、我々はそれをどう扱えばいいんだろう?
私の意見とかれらの主張が合致してるなら話は簡単で、応援すればいい。
だけど、そうじゃない場合。
性的虐待のサバイバーが、異性(同性からの被害なら同性)を貶める主張をする人間になっている場合。
外国人に襲われた人が、レイシストとしてデモに参加したり、主催したりしている場合。
そういう時、彼らに同情して、彼らの心に親身になり慰めながら、同時にその主張には反対するにはどうしたらいいんだろうか?
ニュースの向こうの人についても、直接の知り合いについても、ここ数年ずっと考えているけれど答えは出なくて、結局曖昧に微笑むしかできないでいる。
意見の否定と人格の否定の区別ができない人が多くて歯痒い トラウマあろうがなかろうが
意見と人格って区別できる物かなあと思うんだよな。 その人の意見は、その人の価値観から作られるものだし、その人の価値観は、その人の人格から作られるものだし。 意見を否定する...
意見の否定は、認識や論理への否定であるべきであって、 感じ方とかを否定するのは意見の否定には含めないかなあ 自分が活躍したいとかそういうのは意見とは違うレベルの話だと思う
「その人の意見は、その人の価値観から作られるものだし、その人の価値観は、その人の人格から作られるもの」 ほんこれ 意見と人格は分けられると、考え方は多様って、正当っぽいけ...
悩むくらいなら何もしなくていいんじゃない? 「トラウマを持つ人」というのもそれぞれ個人であり、多様だし 問題は個々に扱うしかないものだよ 複雑な問題をいっしょくたにして雑...
似たようなこと考えたことあるけど、まあ一番いいのは方法をずらしてあげることだよね。 それじゃあなたの求めるものは実現しないよ、とか、それはすごく難しいよ、とか。 ただ、...
ネットだと特に関係性がないのにクビ突っ込みたがる連中が多いしな 信頼されてる相手に言われるならまだしも誰だよおまえとしか思われないわ