という使い方は違和感がある。
「(なになに)したことあります」
じゃないのか。
過去の行動を表すときに、なぜか時を示す代名詞っぽい「とき」を使う場合は
「(なになに)したとき(なになに)した」
これは「とき」「こと」の後に「は」をつければ判別できることを発見した。
「(なになに)したことはあります」
↑違和感無い
「(なになに)したとき"は"(なになに)した」
大まかな意味は変わらん。
ちなみに
「(なになに)したことは(なになに)した」
↑おかしい
自分が「とき」を使われて違和感がないのは、他の動詞を修飾する場合だ。
これらのことがどういうことを示しているのよくわからんが。
おおまかに、おそらく主体が語り手でもなく事象でもないということではないか。
という口語は自分も事象も主体にしないで、そのときとかいうよくわからんものが主語の形式をとっている。
ことであれば
「そういう事象があった」
ということだが。
とか
もはや完全にひと事。
茨城の方言
文節ごとに分けると「とき」が主語になってる気がするんだけど。つまり動詞かつ主語。 そして、全体の文の中では接続詞の役割も担ってる。
現在形の「するとき(は)あります」は違和感ない。なんでだろう。 「うんこ漏らすことありますよねー」も「うんこ漏らすときありますよねー」も、どちらもOKな感じ。
きのことたけのこの話かと思ったら全然違った。