2015-10-10

とき、こと、の使い分けについて。

「(なになに)したときあります

という使い方は違和感がある。

「(なになに)したことあります

じゃないのか。

過去の行動を表すときに、なぜか時を示す代名詞っぽい「とき」を使う場合

「(なになに)したとき(なになに)した」

ということな違和感がない。

これは「とき」「こと」の後に「は」をつければ判別できることを発見した。

「(なになに)したとき"は"あります

ときはあるということでは意味が変わる

「(なになに)したことはあります

違和感無い

「(なになに)したとき"は"(なになに)した」

大まかな意味は変わらん。

ちなみに

「(なになに)したことは(なになに)した」

おかし



自分「とき」を使われて違和感がないのは、他の動詞を修飾する場合だ。


そうでないと「とき」主体になってしまう。

これらのことがどういうことを示しているのよくわからんが。

おおまかに、おそらく主体が語り手でもなく事象でもないということではないか。

「(なになに)したときあります

という口語自分事象主体にしないで、そのときかいうよくわからんもの主語形式をとっている。

ことであれば

「そういう事象があった」

ということだが。

ときである

「そういう事象があった時間があった」

とか

「そういう事象があった時間軸があった」

「そういう事象があった世界線があった」

もはや完全にひと事。

ある意味奥ゆかしい表現とも言えるかもしれない。

そういうときになるということである

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