昨今の民族主義からくる争いに釘を刺し、日本の歴史家を賛美する内容・・・
なのかもしれない。
なのかもしれないというのはこの声明があまりにも不明瞭でいったい何を言いたいのかよくわからないからだ。
その結果としてこの声明は早速東洋経済の記事や朝鮮日報といった新聞社からそれぞれまたく違った角度で語られることになる。
残念ながら更なる争いを生むだけの特に意味のない声明となってしまった。
彼らが歴史について資料や証言を重要視することなくある種のイデオロギーに沿って考えなければならないと自ら表明してしまったことである。
つまり一次資料にあたることや生存者の重要証言などどうでもよい、と言っておきながら一方では偏見なき清算をというわけのわからないことになってしまっているのだ。
彼らは自らの出した矛盾に気づいているのだろうか。