駅で池沼がタウンワークのスタンドを倒して中身をばらまいていた。そしてそのあと、母親であろう老婆が片付けていた。もう彼女にとっては何年も、何十年も繰り返されてきた事態なのだろうと想像がついた。
片付けるという行為は非常に高度な知性が必要な作業名だと判った。そして、人が人である立脚点は知性なのだとも。そりゃ見た目にインパクトのある障碍者は多い。満足にしゃべれない障碍者だっている。でもネット上での言葉のやり取りならそれは判らない。ただ知性があるだけで、対等な人物がモニタ越しに鎮座ましましてると想像はできる。そうやってデバイスの進化、ネットワークの普及でそれまでとは違う経験を得ている障碍者は大勢いるのだろう。それはとても平等だ。
しかし、彼ら知的障碍者はどうやっても救われない。たとえ微力でも社会に参加もできない。わたしは着床前診断を強く強く推奨する。母体への影響と天秤にかけてもだ。彼らの誕生で得るものはない。