俺は長年、たぶんもう14年くらい、
って生活をしてて、
俺にとっては
ネット=他人に攻撃的な姿勢でネチョネチョネチョォ~っとした事を書き続ける場
という状況。
で、俺は何でこんな事を続けてんの?
それで何を得ているの?
と。
歳だけ食って、その分体が衰えて。
変化っていえば、それくらい。
生活ステージがどんどん変わっていく周囲を見て何か感じるなんて事もなくなった。
俺はただ、ネットでネチョォ~っとした事を書くことによって何かを得て、
それだけを糧に生きてるらしい。
でも、何を得ているのかわからない。
ネットを見渡せば、俺と同じようなやつをたくさん見かける。
彼らは、自分が何を得ているのかわかっててやってるんだろうか。
思いついたものを強いて挙げるとすれば、
ストレスは、よく感じる。
どこの誰とも知らない連中からの攻撃的な反応があるだけでイラッとしたり。
そのネタに狙い通りの攻撃的な反応があったら何故かイラっとしたり。
仮に、ストレスを感じるために、
他人からの心無い反応を求めているとしたら。
ここで言う「他人からの心無い反応」は「否定」「拒絶」と置き換えてもいいと思う。
「否定」「拒絶」
こういう言葉には、すごく思い当たる節がある。
両親の自分に対する接し方。
大人の自分に対する接し方。
常に、どこでも、俺は「否定」「拒絶」される身だった。
頭の中は常に「否定」「拒絶」される事への不満、怒り、辛さ、寂しさ、
そういうものでいっぱいだった。
よく考えたら、会社でも同じだ。
自分を認めてくれる人への反応は薄いくせに、
自分を認めない連中へ近づいては「否定」「拒絶」される行為を繰り返してる。
この点については、いま初めて気づいたかもしれない。
俺は、他人から「否定」「拒絶」されることばかり求めて暮らしてるんだろうか。
それによって起こるストレスや怒りみたいなもので頭が満たされてる状態が俺の常態で、
常にその状態を保とうとしているんだろうか。
やだな、それ。
他の、俺と同じようにネチョォ~っとした事ばかり書いてる人たちも、
俺と同じような感じなんだろうか。
同じような事をしてる連中と「わかるわかるー」って言い合えたら、
何かが変わるだろうか。
でも、それは実現しないんだろうな。
俺も彼らも、
「わかるわかるー」なんて書かないから。
そんな瞬間は来ない。
たとえ長い期間を同じ場で過ごしても、
俺はこの先もずっと誰からも肯定されることなく、
一人ぼっちで否定や拒絶を求めて同じ生活を続けていくんだろうね。
ぞっとするけどしょうがない。