「今まだ分かる年じゃないからという」親の躾放棄というか、子供への教育放棄は社会全体の問題でもある。
どこで騒いでも子供だから許される、”他人の迷惑”の概念を分からない、という子供が増加し、大人になっても公共の場での振る舞いを分からない人間が増えてきている感じは否めない。
一般的な子供だけに限らず、例えば、身障者へ対して過剰な保護や介護をしてしまったがため、他人が自分にあれこれ丁寧に対応するものだという考えが身にしみてしまって、本人は企業で働きたいと考えているのに、いざ仕事となると、段取りの9割以上は他人があれこれやってくれるべきものだという考えになっているという事例を目にするし、耳にする。これは一人や二人の障がい者枠の人の話ではない。
本人はやる気とそれなりの教育水準はあるのに、いままで接してきた人間が”世話を焼きすぎてきた”がため、仕事に支障をきたすのだ。
”「まだ子供だから躾けなくていい」「まだ理解不能だから躾けない」という甘えを徹底的に乳幼児から施した親”の子の未来は分かるだろう。
また、それを”見てみぬふり”をする周囲の大人の責任は重いと思う。
「どんなに大騒ぎしても、周囲は、大人は見てみぬふりをするもの」などという考えを持った子供たちは、果たして、いじめのときにどう振舞うだろうか?
じゃあ「しつけ」でいう事を聞けるようになるのは何歳からか、と言う知識はある? どんなに幼くても親の動きを子供は見ている。乳幼児のときからでもだ。 大人と同じように公共の...
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ネトウヨ涙目