日本の文学史で、純文学と大衆文学の論争が起きたときも、同じ理由だったんじゃないかという気がする。
「純文学が“ありのままの真実を書いている”って、検証不能じゃないか。
また本当に起きたことであっても、書いた人というバイアスを通った以上、その人の主観になる」
に傾き、そして「純文学と大衆文学の境目が薄れてきた」現実で論争は終結した。
今の時代は「小説なんて作り話じゃん」が常識だけど、昔は「事実・真実でないとダメ」と言っていた人が、
かなりの数いたんだよ。
それより「嘘がソースの話は信用するなボケ」をもっと考察した方がいいと思う。
なぜ多くの人は、言われたことをそのまま信じてしまうのか?
荒俣宏はそれを「アホの力」と名付けた。(と思う)
漫才で片方が何かを言うと、相方が「そうそう、○○ですね~」と復唱する。
疑わない、否定しないお約束なんだけど、(もちろんネタの核心部分に入ったら捻りが出てくるが)
「差別が大嫌いな平等主義者」の皆さんこんにちはこんにちは! いきなりきわどい出だしだが、Facebookのある投稿を見て失神しそうになりながらタイピングしているので許してほしい。...
日本の文学史で、純文学と大衆文学の論争が起きたときも、同じ理由だったんじゃないかという気がする。 そっちのほうは大衆文学の側の 「純文学が“ありのままの真実を書いている”...
単に人は自分の信じたいものを信じるというだけじゃね?
素直に信じてしまう、という要素に絞れば、 オレオレ詐欺に引っかかってしまう心理は、 信じたいから信じるとは思えないよ。
単純に2ちゃんねらーカミングアウトでしょう。
3点言ってるじゃないか
おっぱいは、乳首の色と形と、ついでに感度が大事さ。
元は『「差別と韓国人が大嫌いな平等主義者」の皆さんこんにちは!』なのに 「韓国人」を削る辺り増田は嫌韓厨? そこにカチンと来るくらいなら改変コピペなんてしなきゃいいのに。