昨日もやもやして眠れなかったけど考え抜いて分かった
私たち人間が日々誰かをdisり、disられ忘れ去られた過去の淘汰され弱者の存在の上に幸せがある
「一番の仕返しは幸せになること」という言葉は自分の中だけでそう思うならともかく
他人にそれを言った時点で
「いままでいじめられた分、強くなったべ。俺たちに感謝しなさい」という言葉と同質の
自分の今まで他人に行ってきた過去の仕打ちを棚に上げておきながら、他人にモラルを求める
恥を知らない言葉だと気づいた
あの人がクラスでいじめられていなければ、ターゲットは私だったかもしれない
あの人がパラハラを受ける的になっていなければ、ターゲットは私だったかもしれない
あの人が殴られていなければ、ターゲットは私だったかもしれない
そうやって過去に誰かが代わりに犠牲になってくれたからこそ、幸せは壊されなかった
過去そして現在の弱者の犠牲の積み重ねの上に私たちの幸せは成り立っている
己の恥を知りつつそれでも「一番の仕返しは幸せになること」と言うのと
ただRTされた言葉が何となく良さげだから何も考えず、今まで他人に行ってきた過去の仕打ちを棚に上げて
「一番の仕返しは幸せになること」と笑顔で言うのではまったく違うし、言われる側にもそれは見透かされるだろう
無意識に他人にモラルを押し付けて優越感を感じたくてそう言ってる人と、励ましたいけど自分の頭で考えた言葉が無くて