テレビ見ててチャンネルを回していたらたまたま怒り新党っていう番組でファン心理について扱っていた。
「○○という歌手が好きなら××という曲を知らないとそのファンとは言えない」と言われてショックだったみたいなことだった。
ショックだと感じた人からすれば○○という歌手を好きであるという共通点があるなら「好き」の形は色々あっていいでしょと思ったんだろう。
一方でファンとは言えないと言った人の気持ちとしては
1:××という曲も知らないでファンを名乗るとはおこがましい、××という曲を知らない人間を下に見るというルールを作ることで自分はがいかに優れたファンであるか示したかった。
2:××という曲もいい曲だからあなたが知らない○○という歌手の一面も知って○○をもっと好きになって欲しい、そして同じ価値観を共有できる仲間になって欲しい
みたいなのがあるのかなぁと思った。番組の流れ的には1として扱ってたけど。
番組のトークでは○○という歌手をちあきなおみにして話してたけどファン歴が長いマツコ・デラックスにしてみれば喝采が好きって言うのは素人らしい。代表曲が好きだっていうのは素人ってことなんだろう多分。一方で「年上の人の中には喝采がヒットした年に生まれた人間にちあきなおみについて語るとは片腹痛いと思ってる人もいる」みたいなことも言っていた。○○が好きという気持ちから○○が一番好きなのは自分であり、他をひれ伏させることで満足感を得たいという気持ちへ変化する人が多いってことなんだろうと思った
何かを好きになってその好きになった対象についてもっと知ることでさらに好きになる反面でその対象についての知識量や好きになってから現在に到るまでの時間の長さ「だけ」を愛情量と捉えてしまってご新規さんに対して排他的になる・・・という風に感じた。「はじめはみんなに良さを知ってもらいたくて広めたけれどある程度すると私だけのものになって欲しいと思う」と番組内では表現されてたけどまさにそんな感じなのかなぁ、と
誤解があったらあれなんで一応念のため言っとくとこう書いてると古参が鬱陶しいみたいな書き方になってしまったけれど通ぶるにわかもやっぱり見てて痛いものはある。でも古参にしてもにわかにしてもどっちも「詳しい人」と讃えられて特別な一人になった気分に浸りたいというところは一緒なんじゃないかなぁと思う。それが大して詳しくもないのに詳しいフリをするかご新規さんを全員通ぶるにわかと捉えて排他的になるかの違いであって。
古参にしてみればいくら古参だって胎内から出た時から古参だったわけじゃないんだし誰だって駆け出しの時期はあったと思うからご新規さんに対しては若かりし頃の自分を当てはめてご新規さんが分からないことあったら問に答えてあげるとか丸くなることが必要なのかも知れない。ご新規さんにしても他の人が持ってないものを持ったら自慢するんじゃなくて軽い提案程度にとどめておくくらいがいいのかも知れない。特別な一人になった嬉しさから好きと思える仲間が増える嬉しさで心を満たす・・・そんな感じかなぁ。