山内せんせが「軍には軍全体の意志がある」とか言っちゃってて、ぞわわああああああとした。エジプト軍に限らず、一般的な軍の話をしていたと思う。専門家がそう言うんだから、そうなんでしょう。軍には、軍のトップの主観には回収されえない、軍全体としての意志が「ある」。
ぞわっとした、というのも、日本の「軍」のことを考えたのです。田母神さんが防衛庁長官から陸軍総統を解雇されたこと、これ間違ってなかったんだろうなあ。暴力を見ないためには、それは間違っていなかったんだと思う。
その上で、それは間違っていたんだと言うこともできる。暴力は、政府、あるいは政治によって飼い慣らされている、彼らに従順でいる。それ自体は悪いことじゃない。嫌な感じがするのは、従順でいるその統治者の側に対し、あまりにわたしたちが無知なことである。具体的に言えば、わたしたちは田母神さんを覚えてはいても、田母神さんを解雇した防衛庁長官が誰だったかということの方を先に忘れるのだろう。
暴力がなにかによって飼い慣らされたとき、暴力とその「なにか」は、どのような関係性にあるのだろうか。あるいは、「なにか」は、いかなる仕方で、暴力を統治するのだろうか。統治されるものに対して、統治する者は圧倒的にベールに包まれていられる。わたしたちは、その政治家たちについて、マスコミを間接的に通じてしか知ることができない。自分の目で見て、判断することができない。それにすら気づかない。頭が悪い…ということなんだろう。もちろん、わたしも含め。
こんなことを考えていて、こわあああと思ってしまったのだった。おわり。