手順を考えるなんて、人間が生活する上でいつもやっていること。
自分でやらなくても済む事である以上、できない奴がいても当然。
ところで
ビタミン剤みたいだな!
手順を考えて、その手順を書くだけ。
言語もあらかじめ決められた手順に沿って解析されて実行されるから、オートマトンやBNF記法、構文木などの仕組みを一通り覚えてどういう機構でチューリングマシンが原理的に実行可能なコードへと落とされるかを理解すれば言語自体も覚えるのなんてそんなに難しくない。
手順を考えるなんて、人間が生活する上でいつもやっていること。
プログラムを走らせるためのデータ構造を考えるのに苦労するという話も聞くけど、プリミティブな要素が数値、型へのリファレンス値しかないんだから大体は離散数学で使うグラフの初歩的な知識があれば事足りる。GoFのデザインパターンなんてまさにそう。
横だが。
君のそういう考え方自体に文句がつけられてるわけじゃないだろ?
君の「自己中心主義」に基づいた問題意識(っていうか問題にしない意識?)が「普遍的人権」という言葉に向けられてるのがおかしい、というだけの話だろ。
楽で高給と言われる市役所の実態
(すべて俺の体験なのですべてがそうだと言うわけではないです)
いいところ
・有給は忙しい時期でなければ好きなように使える。1週間休みを取る人も多かった
・職場内の人間関係は良好で職場内対立とか厳しく詰めてくるような上司は居なかった。
悪いところ
・田舎の市役所なのにメチャクチャ忙しい。残業時間100時間超は当然のようにあった。どこもそうらしい。
・若いうちは民間よりビックリするほど給料が安い。大卒初任給の手取りは13万。手当てもほとんどない。昇給も雀の涙。
楽で給料高そうって動機で入ってくる奴はあんまり持たないな。
ただ公務員は使えなくても首にならないから入って使えない人間になるのも手かもな。
元職員だから言うのかもしれないが、使えない公務員を首に出来る制度って実は反対ではないんだよな。
ただ成績主義がふさわしくない公務員だから
透明マントが出来ると言う話もあるし、デジタル加工した無地の服に電子データを流し込んで、自分の好きなデザインを選択できる。服を買う=データを買うって言う時代が来るだろうな。胸熱。
うーん、確かに俺は恩恵を受けてるんだろうけど、
他人が俺と同じ恩恵を受けていなくても、それに対して何とも思わないんだよね。
どっかの国で人身売買とか、姦通罪で死刑とかやってたとしても、
仕方ないな、で済ませてエロ動画見たりしてると思うんだ、正直。
すべての人に等しく人権があることを肯定するなら、何としてもこういうのを止めさせなきゃいけないんだろうけど、
せいぜい「これはひどい」とかブコメ残すだけで、他の話題に関心が移ったら忘れちゃうだろう。
風俗店とか利用して人身売買の利益を与えてる可能性もあるんだけど、
たぶん風俗行くのも止めないだろうし、それが悪いことだとも思わない。
前増田だけど、やり方はそれぞれで、本人なりに結果が出てりゃいいと思うんだけどね。
俺の場合だと、「一見無駄に見えるものは実は全然無駄じゃない」という考えによってるんだ。
例えば、授業中の天気とか、先生がどんな冗談を言ってややうけてたとか、そういうことの記録と記憶が、その前後に語られた重要な情報と密接に連結していて、重要な情報単体で覚えるよりも、その周囲のムダなこと込みで覚えることによって、むしろ容易に覚え、そして引き出すことができるんだ(俺の場合ね)。あるワードから芋づる式にずるずるっと出てくる。その手がかりになるものが一見無駄なことであるように見えるんだ。
ここまで違うモンか、とちょっと驚いた。
俺の勉強の仕方。(独学)
「自分にとってだけは意味がとれる」ようにノートに書き留めていく。
こんな感じ。
↓
ホッテントリ→傾向→
↓
みたいな感じ。とにかく、余計な語は全て省いて自分にとってだけわかる要約を作る。
頭に教科書を丸ごと詰め込むのはムリなので、自分にとっての知識の略図を作るイメージ。
俺は他人にモノを教わるのが大嫌いなので、独学しかしない。誰かに教えを請うのは、わからない要点を掴んでから。
「どこがわからないか」がわからない状態で他人の話を聞いても基本的にムダだし、効率も悪いと思う。
色つけたり清書したりするのも全てムダだと思う。そんな暇があったらどんどん単語と単語をつないで
意味上の地図を作っていった方がいい。英語なんかも、単語の形から派生して意味の広がりがたくさんあるので
こういう風に縦横無尽につながりを持たせて覚えるのが一番手っ取り早いと思うなぁ。
とにかく、ノートってのはインプットのツールに過ぎないので、「綺麗に」とかそういう感覚は捨てた方がいいと思う。
最終的に必要な知識が頭に詰め込まれて、適宜アウトプットされればいいわけだから。
逆に言えば、読んだら覚えられる程度の知識ならノートなんか要らない。丸ごと詰め込めないものに遭遇した時だけ
秒速かぶれの男は、大したことないどこにでもある振られた話を自分自身に重ね、感傷して悦に入ってる。女はすぐに忘れるという定説を盲目的に信心している。僕がふられたのは僕のせいじゃなくて、こんな軽薄な女のせいだ、と。
横だけど、そう言われれば「火中ノ栗」っぽい感じはする。
俺のやり方
教科書はほとんど使うな。よっぽどのときサポート用として使え。辞書みたいなもんだ。
きったーなーい字でいいから超スピードで書け。書きながら授業中感じたことがあればそれも書くんだ。「そうだったのか!」とか。
その日の終わりにそのきたなーいノートを別のノートにきれいに書きなおせ。このとき構成も工夫しれ。感想がさらに浮かべば追記しれ。分からない字が出てくるから授業を必死で思い出せ。この作業が記憶の強化につながる。
週末、きれいなノートを読み返しながら、赤で添削したり関係あるとこを棒でつないだり四角で囲んだりしれ。感想があればさらに追記しれ。
これで記憶の量と質が両立できる。授業中猛スピードで先生が言葉でしゃべることをメモっていくことで量を確保。そして人間は記憶が失われるタイミングの直前に見直すと忘れないという法則があって、そのタイミングが「その日の終わり」「数日後」の2回なのだ。そこで最初に記憶が消えるタイミングを清書にあて、次のタイミングを添削に当てる。
このルーチンワークでかなりの成績は保証できる。そこから先は工夫と才能しだい。
なぜ、感想記入が大事かというと、ノートとは、授業内容の情報としての記録では決してなく、自分が受けた授業の日記なのだ。日記として思い出すためのツールなのだ。
君が他人の3年前の日記を読んだとしても、あまりその情景は浮かんでこないだろう。しかし自分が書いた3年前の日記ならバーっと思い出すことも多いと思う。なぜなら、君が書いた日記は君の体験が書いてあるからだ。実際に体験していることが書いてあるから思い出せる。同じ情報量でも実際に体験してないことは思い出せない。だから授業という体験をノートに書き込むことによって、そのときの気分や感覚(納得いったときの感じとか、さっぱりわからなかったときの感じとか)を思い出し、それによってそのときの情報まで思い出してしまえるのがこの日記的ノートの利点なんだ。
※独学のときは(独学自体をあまりおすすめしないが)、問題集を使おう。
まず問題集をいきなりやってみる。全然できないと思う。でも一生懸命考えることは重要。で、一回終わったら答えと解説を見る。そして、その解説を授業だと思って、ノートに書く。この際、丸写しは難しいはずだ。なぜならある問題に関する解説だから、普遍性にやや劣る。そこで、君がその特化された解説を普遍的な知識(やり方)のように構成しなおし、ノートに記録していく。このとき感想記入も忘れずに。そして週末に赤で添削。
このようにして一回最後までやったら、もう一度最初からやる。ある程度できるようになってるはず。2回目やりながら足りないとこを追記してもいい。そして、満点だった項目はOKとして、できなかった項目だけ3回目やろう。このようにして万点取れた項目を減らしていけば、3回目から5回目には全制覇してると思う。それでその問題集は終わりだ。その分の力はついてる。
※勉強を家でやろうと思わない方がいいよ。喫茶店とかの、どっか身の回りに誘惑がない環境を探して、毎日そこで30分なり1時間なりやる習慣にしたほうがいい。
※このやり方のメリットは、やり方について悩まなくてよくなることなんだ。決まったことを毎日やるだけ。やることの量は多いんだけど、やり方について考えずにどんどんやれるからある意味効率的。
いや、だからさ。そういうことではなく。
「理不尽にぶっ殺されることのないよーにしようね、俺もキミも命大事だよね」ってのが「普遍的人権」であってさ。
それは共同体の規範として導入される観念であって、「殺人」のようなイレギュラーな事態を論じるものではないよ。
そして、これが一番大事だけど。増田は既に、「基本的人権」の恩恵に浴してるんだよね。
例えば、「おまえちょっと国家のために北海道の原野開拓して来い。これツルハシな」って事態にはならない。
職業選択の自由があり、こうして増田をやる自由もある。炭鉱にぶち込まれて働かされることもない。
それはあなた、お腹一杯メシ食いながら「俺にとってメシは何の価値もない」って言ってるのと同じ。
最近ブラック企業とかアレだけど、日本はかなり人権をしっかり守ってる国ですよ。そのオイシイとこをしっかり享受しながら
「何の価値もない」って、おまえアホだろって話。
「親なんかクソだぜ」って言いながら、親の作ったメシ食ってるニート状態ですよ。
元増田ですが。
例えば、目の前で誰かが理不尽にブッ殺されようとしてたとしても、
たぶん俺は他人のふりして見殺しにすると思うんだ。
だから俺が誰かに理不尽にブッ殺されそうになって、
助けを求めても誰も助けてくれなかったとしても、俺はそれを受入れざるを得ない。
必死に命乞いしたり、抵抗したりはするだろうけど、人に助けてもらうことは期待しない。
かなりグレーゾーンだと思う。
そもそも例のビデオは、公開してはならないという法律も議会決定も何もなく、政府が一方的に決定しただけという状態。だからもしsengoku38が海保なり検察なりの職員(公務員)だったら服務規程違反に問えるとは思うけど、刑事罰に問えるかどうかはかなり微妙。
もしsengoku38が民間人(非公務員)だったりしたらますます難しくなると思う。それが公開厳禁な物だという事自体を知るよしもないわけだから。
侮蔑語を本来の意味からそらして、ジョークとして扱ってしまうってのは脱構築っぽくていいと思うけどな。
罵倒合戦をちょっと違う方向にそらせるでしょ、それはいいことだと思うよ。
いわゆる「萌え豚」ってのも、そりゃあ個人としては若干気持ち悪いと思うよ、でも悪いわけじゃない。
尖閣についても、政治ジョークってのは歴史上ずーっとあるものであって
別に「日本人が調子に乗ってる」わけじゃない。世界中どこでもあるし、逆に言えば笑い飛ばさなきゃやってけないのが
人類ってことでもある。これだって、領土係争っていうシャレにならない事態を笑いに転化しようとしたもので、
むしろ健康な精神の働きだと思うよ。だって、それによって傷つく人がいないでしょ。
日本鬼子だかなんだかもそうだけど、これで中国人がクスっとでも笑ったら、それはすごくいいことだ。
争いしか起こりえなかった二次元の観念が、少し変わって来るんだから。対立構図をジョークで「ずらす」ってのは
人類の考えた色んなことの中でも結構上等なものの一つだと思うなぁ。
チャップリンとか素敵だよね。少なくとも、日本鬼子!に対して「くたばれシナチク!」って叫ぶよりはずっといい。
「真面目に」向き合うより、ちょっと意識をずらした方がいい場合もたくさんある。結局、シナチクと日本鬼子の怒鳴りあいなんて、ハナっからなんの意味もないんだから。