これがマトモにデスマらせずに出来るエンジニアリーダー って 日本に100人いないだろうなぁ・・・。10人もいないかもな。規模にもよるけど。
普通は6つのシステムを5つにして、5つのシステムを4つにして・・・だよなぁ。
定期システム以降のタイミングで、統合できるものは統合し、バージョンアップ時に統合を見越して機能追加しておいたり
時間軸で10年計画でやるならともかく・・・2年ぐらいでやろうとしたら、下手すると業務が火をふくだろうなぁ・・・
システム移行にともなう吸収できなかった暫定しようという名の、どうしようも無いダメバグ。で事務の人が火を吹いて・・・
最悪、経理や決算が火を吹いたり・・・個人情報流出したり・・・ヒューマンエラーが怖いぃぃぃぃ
ガクガクブルブル・・・
うーん、うろおぼえなんで、あんまり責任もった発言じゃないけど、
借金、延期してもらうこととかはできないの?
日本学生支援機構でしょ。
あまり、こういうことを申し上げるのは良くないことではあるけれど、
ふつうの金貸しよりは、だいぶ融通きくと思うけれど。
あと、教職員になったら免除とか、そういうのもないのか。
一応参考リンク。
まあ、滞納したらさすがに、信用情報機関に登録とかはされるようなので、おすすめできるわけじゃないけれど
研究人生をむりやり、企業に、というのは面接突破するところでも、ふつうの人の倍以上のエネルギーがかかるからなぁ。
まあ、十分しってることだったら華麗にスルー推奨。
その病気は治らないよ。
治ったように見える人たちは、嘘をついてるか、最初から研究にそれほど興味が無かっただけ。
起訴猶予と執行猶予の間に罰金刑とか略式命令ってのがあって、例えば窃盗だと初回から罰金刑ってパターンも結構あるんだぜ。(捕まったのは初めてでも、そのときバレた件数が多ければ、いきなり懲役刑を請求されることもあるしな)
それに起訴猶予になったって民事的な責任が消える訳じゃないし、被害者に恨まれない訳でもない。"一回ならOK"という表現をする感覚が分からないな。
"あなた"に問う。日本は素晴らしい国か、最悪な国か?
いたって普通な国だ。
楽しいことが見つからなければ、友達の好きなことを一緒にやらせてもらうんだ。
大切なのは、本気で、楽しむこと。
楽しいことが見つかったら、その分野の先人に対して、プライドが高い対応なんてしにくいはずだ。
だって、その人が自分に楽しいことを教えてくれた先生なんだもの。
で、楽しいことが見つかったら、もう少し違った視点で、自分の本当のwant toの片鱗が見れたりはしないだろうか?
しないかなぁ。
もっと、シンプルに言うと、コアというか、根源欲求みたいなもの。
そうしたら、その根源欲求さえ満たされていれば、どこにいっても一応はやっていけないかなぁ?
おっと、論理的に・・みたいな話はやめてくれよ。テキトーに書いてるからな。
議論になったら、負けるぜ。
まぁ、そんな自分は大学四年生ちゃん!私が専門科目と面接のプレゼンを突破できるだけの、才能をおーくーれー。
もっと、面白い友達が欲しいんだ!
今度は遊ぶ金欲しさで、野に下って、仕事して、稼いで遊び呆けるんだ!
そんな動機でアカデミックの世界から脱出してもいいんじゃないかなぁと思う。
あと、生意気言ってすいませんでした、先輩。
男>女 と 男≧女 じゃだいぶ違うからな
それ、半端にシステムを知ってる人が陥る罠な思考だよ。
少なくとも「コストが下がる『可能性はゼロではない』」が正しいんであって、
「下がりそう」はもちろん「下がるかも知れない」すら過大評価になると思う。
(http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51731420.html)
この手の人(ネット上で、いわゆるネオリベ的な言説を巻き散らかす人)のいう「努力」とは、「成功」と同値だよ。
もっと正確に言うと成功したケースにおいて、その成功した事の要因のなかで、明らかに運である要因を除いたものを努力と定義するということ。
言い換えるなら、この手の人は、成功に結びつかないのなら、どのような行為も努力とは呼ばないし、
成功したケースがあったら電子顕微鏡で走査するレベルの分析を使って「努力」と言い張れる要因を探し出すわけ。
なんのためかって?
それは機会均等こそが絶対の正義という主張のためです。
彼らの立場にとっては、敗者や貧者は、その原因は100%が努力不足でなければならないのです。
それを否定すれば「機会均等の正義」から始まり、「格差を正当化する論理」に至るまで、
彼らの信じている学説そのものがすべて論理的に崩壊するからです。
社会を生きるうえで自分と他人さえ識別できてりゃ、そこまで自己愛肥大させても
邪魔なだけなんだが、これどうやりゃ削減できんの。心に鑿と鉋振り下ろして
一番いいのは、テンプレ的な性格イケメンの人格を、今の人格アンスコして
そろそろ、大学(博士課程)に残るか、就職活動を始めるかを決めなければいけないと思っていたり。
どちらの選択肢も求める条件を全て満たすわけじゃないから葛藤する。
いや葛藤ではなかった。就職活動を始めなければいけない。大学に残ったら私の能力と分野では学生支援機構の借金を返せない。
私が就職活動をする上で一番の障壁は、自分の能力がある領域では他人よりかなり高いというプライドを壊す必要があることだ。そもそもそのプライドの根拠は事実ではなかったから、現実的になって社会に適応するという目的の上では壊すべきだと思っている。しかしそれは大きなストレスとなり自分が押しつぶされそうになる。思春期の学生みたいな気持ちになる。なんとか思考の迷路を作って自分を誤魔化そうとしてしまう。病気。この分野の研究者は馬鹿ばかりだ!などと言い聞かせないと研究に戻りたくなってしまったりもする。心理学でいうバランス理論がこんなにも当てはまるとはね。毎朝目覚めると嫉妬や妄想、不合理な他人への批判や怒りが沸いてくる。くやしい。もっと時間があれば。。。いやそれでも駄目なんだろうな・・・投資家の損切りが遅れる傾向にあることを上から目線で分析しながら、自身もキャリア選択においては全くおなじ轍を踏んでいる。
前回:http://anond.hatelabo.jp/20100805013139
また大分間が空いてしまったけれども。
今はとても穏やかに時を過ごしている。何もすることもなく、何かしなくてはいけないこともなく。ただ、浅い眠りをうつらうつらと繰り返し、意識が清明なときだけネットを見たり、外に出かけたりしている。好きなゲームにはほとんど手を出していない。アニメは…ちょっと見るようになった。劇場で「インセプション」を見られるようになったというのは、自分では大進歩だと思っている。題材的にも、劇場へ足を運ぶという行為自体も、前の状態だったら絶対に無理だっただろう。
そして、この平穏があと2週間くらいしか続かないことも、知っている。
まずは眼科。これは生活上目が見えなくて困っていたからで、眼鏡とコンタクトの処方を変えることで大分改善した(あと、生活環境をMacに替えた)。緑内障の恐れがあるから、視野検査も受けなくてはならないが…。
次に歯医者にいくことにしている。十年来奥歯に痛みを抱えていて、これは生え方がおかしい、いわゆる「埋没歯」というやつなのだが、こいつの手術をしなくてはならない。入院がいるだろう。そこまで派手な治療をしてくれる歯科の心当たりはないので、聞いて回らないとダメなのだろうな。
あとは耳鼻科で耳垢を取ってもらう(俺のは医者にやってもらわないとマズいらしい。素人は手を出すなといわれている)とか、メニエール氏病の検査を受けたりしなくてはならないが、このへんはまあいつでもできるし、重要でもない。
問題は、循環器科案件。この件について知っているのは家族と親しい友人数名だけなのだが。俺は首の動脈に爆弾を抱えている。何らかの弾みでこいつがはじけたら一発アウトのあの世行き。手術することもできるのだが、その後のケアが大変すぎるのと、そもそも成功例があまり多くない? らしく「ほっといてポックリいったほうがいいですよ」などと言われる始末である。どちらにせよ、そう長くは生きられそうにもない。この休職の間にこの案件を片付けるか。それとも忘れたふりをしているか。さすがに忘れてしまうことなど出来るわけもない。ちなみにこの爆弾が原因で、俺は1日に大量のボルヴィックを浴びるように飲んでいる。血の巡りが悪くなるとこの爆弾に着火する可能性が高いからだ。
この休職により、ついに俺は社会的に死を迎えることになった。後は生物学的な死だ。むろん、お金が稼げず飢え死にするなどということは充分に考えられるが、それよりもこの満身創痍の状態でいつまで耐えられるのか、のほうが問題だろうと思っている。
結局のところ、俺はもう半分死んでいて、近々完全に死ぬのだ。それが自らの意志なのか、それとも抱えている地雷が爆発するのか、それとも別の原因なのかはさておき。時期もなんとなく、休職の明ける11月くらいなのだろうな、と言うのがうっすら見えている。一応増田たちに責任をかぶせたくないので、いわゆる「自殺」を積極的に選ぶことはしない、ということは約束する。ただ、そういう状況に追い込まれてしまったときには、謝って許してもらえるだろうか。…無理だろうな。それでも謝っておく。ごめんなさい。
今はとても穏やかに過ごしている。死んで行く事への恐怖を除けば。
再チャレンジ不能である世の中というのも案外よいもので、あの血を吐くような苦労をして、それが結果徒労となり、砂の城が崩れ落ちていくこと自体、しなくてすむというのは、とても楽な気持ちになれる。あるいは成功したとしても、それは誰かの生き血をすすり、返り血を浴びた結果であることは承知の上。そんな汚れた人間が大地に両足をつけ、太陽を仰ぐ、みたいな非道い生き方をしなくて済むのは、楽だ。
むろん、自分の作っていたものには「命をかけてもいい」と思っていたのも事実だ。ただ、会社に「命をかける必要なんかない」と言われてしまった時点で、俺のあの案件への情熱は冷めてしまった。プロとしては失格。しかし、実際に掛け金に命を賭けろと強要していたのは、どっちだ? むろん、言い出したのは俺だが、その結論に陥るトラップを入念に準備していた人たちがいたのは知っている。
そう、結局社内政治と自分の弱さに負けたんだ。そして今もまだ負け続けている。
あとは願い。完全にくたばってしまう前に、自分のやりたかったことを、形として残しておきたいと思っている。それに何日かかるのかは分からないし、なにせ相手のあることだ。そううまくはいかないだろう。それでも。俺にできるだろうか。時間が普通にあって、記憶力が常人なみで、集中力が続くのであれば、なんでもなくできること。そもそも、そんなこと、俺がやる資格があるんだろうか。
わからない。怖い。そうしたまま、今日も夜が過ぎる。