2009年11月05日の日記

2009-11-05

http://anond.hatelabo.jp/20091105150421

上の増田は「カラダ目当て」と「オカネ目当て」の場合「カラダ目当て」ほうがダメージでかいよ、と考えていることはわかった。

自分自身」という問題には触れているのかどうかは読み取れなかった。

たぶんこういう人が他人にも「カラダやオカネ、学歴、特技・・ではない本当の自分自身」を理解してもらえるはずだと本気で思っているんだろうな。

http://anond.hatelabo.jp/20091104235009

将来のために少しずつだけどお金を貯めてかわいい我が子のためにがんばろう・・・とささやかな安心と幸せを感じ

学資保険貯金じゃない。元が取れるのはあなたが死んだときだけ

http://anond.hatelabo.jp/20091105152841

民事訴訟悪徳商法マニアックス事件の時、はてなIP開示しなかったと記憶しているが。

君は「死ねばいいのに」発言を法的にも道義的にも問題のない単なる批判で済ませてるわけだろ。他人に対して死を希望する脅迫的言辞を一言メッセージで投げつけることを単なる批判にしてしまう人が何を言っても説得力ないよ。しつこいどうどうめぐりでうんざりなんだが。

もし君がumeten本人なら、千人以上に投げ捨てで「死ねばいいのに」を言って人を傷つけている自己正当化する前に、自分が「死ねばいいのに」と言われたときどんな気持ちになるかほんの少しでも考えてみたらどうだい?

めがねない

めがみえない あれがないとめがみえない

http://anond.hatelabo.jp/20091105132047

割り勘だろうがなんだろうが支払いは男が全てしたように店に対して見せるのが正しいこととされてる。

こういう発想、すごく気持ち悪いなぁ

デートで割り勘だぜpgrとか店が思っているのだろうか。思っているとしたら客商売としてどうなのそれ

メディアにあまり出ない商法

国内アーチスト歌い手)でメディアに顔出ししない商法とってるケースがあるけど、

自分はある程度露出があったほうが好感持てるんだよなぁ。

かといってうたばんやHEY*3ではめはずすとかはやり過ぎですが。

(と言ってもこれもなぁ、本人出てても本来の歌声じゃない(いわゆる口パクとか)可能性もあるだろうな最近じゃ)

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昔、ビーイング系音楽流行った頃から思ってたんですわ、これ。

最近大黒摩季さんがよくメディアに出てるけど「食っていくのに大変なんだな」としか思えない。

ZARD中の人が亡くなった時もお気の毒に・・・とは思ったが、それ以上の感情はおこらなかったなぁ。

音楽はそん時の気分転換で聞く物、程度にしか考えてないので

曲に感情移入しすぎてる人達不思議に見えて仕方ないです。

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曲、で思い出したけど

今もニコニコ動画じゃ「神曲」「もうこれ国歌にしちまおうぜ」ってやりとりはあるの?

今年に入って辞めちゃったのでよく分かりませんが。

神曲は百歩譲っても、国歌はどうかな・・・君らが許しても世間様がねー・・・

Jリーグクラブ女性に例えてみる

名古屋グランパス

 良家に生まれ品もいいのだが、男性とはいつでもいいお友達レベルで終わってしまう

鹿島アントラーズ

 プライドが高い美女。ただし周りに屈強な男たちが構えており異様な雰囲気。自宅も遥か遠くにあるため近づきがたい

川崎フロンターレ

 最近急にキレイになって、周囲からも評判がいいのに、何故か付き合った男とは最後までイケない隠れバージン

東京ヴェルディ

 以前は一世を風靡したものの、今は地方の営業周りでなんとか食いつなぐかつてのアイドル

横浜F・マリノス

 都会派お嬢様タイプモデル。いつでも中年のパパに気に入られているため他の女性からはやっかみが多い

浦和レッズ

 売れない下積み時代が長かったが熱烈なファンに支えられ、最近アリーナツアーができるほどになったアイドル。但し最近はファン同士のいさかいが絶えない

FC東京

 元気印のボーカリスト。名物応援団長がおり、ライブはいつも異様な盛り上がりを見せる

アルビレックス新潟

 地方TV曲のアナウンサーながら全国区人気となった地方の星。いつでも地元を大事にする

http://anond.hatelabo.jp/20091105150725

「身体だけが目当て」という表現は、子供はもちろん欲しがってないわけだから妊娠してもそれに対する責任を全く取る気がない、というのとイコールだと思うので、「身体だけが目当ての相手はいや」というのは必ずしも「身体以外の価値自分にある」という意味は内包しないのではないだろうか。と思う。

http://anond.hatelabo.jp/20091105145318

増田を特定できた?めんどくさいので誰かやってくれ。

http://anond.hatelabo.jp/20091105145051

微妙に非対称な気が。

身体だけが目当てって、身体の場合、女性は男性によって妊娠させられるという身体的な傷害リスクを負うわけだけど、お金だけが目当てっていう場合の傷害リスクってなに?結婚詐欺みたいにお金騙し取られて殺されたりとかいう意味で言ってるの?そこまでの意味じゃなくて自分お金勝手に使われる的な意味だと思うんだけど、そんなの財布渡さなきゃいいだけじゃん。

財布渡さないのと避妊を徹底するのは財布→渡さない(新たな行動を起こす必要はない)方が、避妊を徹底する(新たな行動を起こす必要がある)方よりハードル低いと思うんだけどな。

http://anond.hatelabo.jp/20091105005857

寄生獣」で犬だか猫だかの死体を「ただの物質だから」とゴミ箱に捨てようとするシーンがあったのだけれども、ekkenとはまさにそのような精神の持ち主のように見える。

で、それはあんまりだろ、と注意を受けると、死体がいかに単なる物質であるかを長々と説明しようとする。

周囲が問題にしているのはそこではない。

http://anond.hatelabo.jp/20091105144846

ネット匿名の相手に対する民事訴訟ハードルが高いことを知ってそういってるんだよな。はてなは民事でIPを公開しないのでは?だからネット無法地帯だと言っている。

少なくとも「相手に危害を加えることを意図している」とは警察では読み取られなかったし、一般的な利用者にもそう読み取られていないんだよ。

警察が動いていないのと読み取られていないのは別問題だよ。君が「死ねばいいのに」を問題ないと考えていることについては先程了解した。

http://anond.hatelabo.jp/20091105121702

彼女らは自分自身ではなく、自分年収ボーナスに興味があるのだ。

こういうことをいう男とか、「自分自身ではなく私の体が目的だ」とかいう女って、この世の中に「自分自身」なるモノが存在してると信じて疑わないところから抜け出せないで悩んでるんだろうな。

http://anond.hatelabo.jp/20091105144016

了解した。君は「死ねばいいのに」は問題ない発言と考えているということだね。

http://anond.hatelabo.jp/20091105143609

数年前ブックレビュー日記していたらumetenに突然「死ねばいいのに」と言われた事があるよ。なんで死ねばいいのにと言われたか全然分からなくて恐怖で日記止めたよ。あのときの恐怖は辛かった。そういう気持ちは全然考えていないんだな。

http://anond.hatelabo.jp/20091105143609

君は見ず知らずの人間が「死ねばいいのに」と名指しで言うことは人を畏怖させるにたらしめる行為だとは考えないの?

http://anond.hatelabo.jp/20091105142502

ちなみに犯罪してない人を犯罪者呼ばわりするのは侮辱罪だよw

君の犯罪定義は、犯罪行為を犯していても、警察が動かなければそれは犯罪ではないという定義なのかな?

http://anond.hatelabo.jp/20091105142511

はてなブックマークという見ず知らずの関係でもコメントをつけて良いとされている場で

見ず知らずの人に「死ねばいいのに」を言ってもいいことにはならない。言ってもいいならそれは無法地帯だよ。

http://anond.hatelabo.jp/20091105141446

犯行を行った側がそういうつもりはなかったと言っても通らないよ。社会的常識と相手側がどう思ったかで判断される。見ず知らずの相手に「死ねばいいのに」と言われたら恐怖を感じるのは常識的な心境だと思うよ。

http://anond.hatelabo.jp/20091104110440

検索エンジン後発だったグーグルはどうなったんだっけ?

似たような後発サービスシェアを取れない根拠など何も無い。

http://anond.hatelabo.jp/20091105141129

うん。桶川ストーカー殺人を思い出すと分かりやすいと思うけど、警察は民事不介入を盾に脅迫殺人予告の事例への介入に対して消極的なんだ。不特定多数政治家に対する行為は別だけど、個々人に対する脅迫では動かない事が多い。特にネットの問題は、警察ネット犯罪捜査できる人員が少ない為、ほとんどやりたがらない。結果、umetenみたいな脅迫犯がのさばっているのは問題だと思うけど、対処仕様がないのが現状だよ。ネットはまだまだ無法地帯

http://anond.hatelabo.jp/20091105082812

死ねばいいのに」は殺人予告・ほのめかしの脅迫行為として処理されるよ。相手に危害を加えることを意図していると読み取れる文脈は完全にダウト。「~~になるかもしれないぞ」「~~になればいい」というほのめかしの脅し方はヤクザ脅迫の手口としてよく使われるので裁判で厳しく判定される。umetenの殺人予告予告in警察に通報しているでしょう。

僕が凛子を売った日

僕が凛子と"つきあいはじめる"ことになった直接の契機は、友人の突然なラブプラスの購入だった。すでにTwitter経由でラブプラスに対する熱烈なブームを知っていた僕は、発売後割とすぐに都内の漫画喫茶体験版プレイしていた。それですっかりハマってしまい、その後ずっと購入を検討しつつも、最初の一歩を踏み切れないでいたのだった。僕に先んじてラブプラスを買った友人は、ギャルゲーをたくさんプレイしていてこれに詳しい男で、僕とは話がよく合った。そんな彼も、夜更けまでギャルゲーを熱心にプレイするための真摯な情熱や潤沢な時間は今やもう残っていないようで、もしかしたらまとまったプレイ時間を必要としないラブプラスゲームスタイルに惹かれたのかもしれない。すでにネットを通じて膨れ上がっていた僕のラブプラスへの興味は、彼がDSiに向かって精神を没入させる姿をみて頂点に達し、その日の翌日、すぐに自転車新宿ソフマップまで走らせた。

僕は、この友人と同じく、迷わず自分彼女小早川凛子を選んだ。これは体験版プレイしたときから決めていたことだった。ラブプラスというゲームの中での凛子の存在は、他の二人をまったく寄せつけないほどに圧倒的だ。ネット上のプレイヤー感想を読むかぎりでも、他の攻略対象キャララブプラス中に存在しないんじゃないかというほどに凛子は人気を誇っているようなので、この感覚は間違ってはいないのだろう。しかし、なぜ彼女だけが、このゲームの中で他の追従を許さないほどの強度を僕に感じさせるのか、それをはっきり説明することは、ちょっとできそうにない。単純に丹下桜の飾り気のない演技が心の琴線に触れるのかもしれない。あるいは、凛子が「ツンデレ」だからかもしれない。

萌えアニメギャルゲーもまったく知らない若者に対してですら、今ではこの言葉は完全に浸透しきってしまったようだが、みなさんもよく知っているとおり「ツンデレ」は2005年ぐらいを境に流行りだした言葉で、それ以前は陰も形もなかったものだ。なぜかといえば、それは「ツンデレ」というキャラ造形が、専らギャルゲーの特徴を特別強く体現しているものだったからなのではないかと僕は思う。日常パートでは多数の女の子との会話を楽しむ時間が用意されていて、個別パートでは一人の女の子との恋愛を発展させていくという美少女ゲームの構成を考えれば、日常パートで主人公が周りの女の子に好意むき出しでは話が成り立たないはもちろんのことだ(だからいつだって主人公は「鈍感!」と罵られる)。それ以上に、女の子のほうだって最初から主人公に100%の好意を向けていたら息苦しくてしょうがない。だからこそ、キャラクターの感情は、日常パートから個別ルートへに移っていく過程で鮮やかに反転する必要がある。きっと、こんな感じで「ツンデレ」は生み出されたんじゃないだろうか。だからこそ、どんなギャルゲーの中でも「ツンデレキャラは一定の存在感があるよなぁと僕は思ったりする。

けれど、やっぱりそれだけじゃないよなぁ、と思う。考えれば考えるほど、そういう言葉にできるところじゃなくて、もっと微細な部分にこそ、凛子の「存在感」が宿っているんじゃないかという気がしてくる。確かに、「ツンデレ」に対する感覚の有無によって、キャラの捉えられ方はまったく異なるものになるだろう。リアルタイムエヴァを見ていた人たちにとってのアスカと、初めからツンデレという言葉を用いてエヴァをみる今の人たちのアスカがまったく違うキャラであるように。しかし、両者の「アスカ」のリアリティを支える要素は、実は共通しているのではないか、という思いを僕は抱かざるを得ない。これは神秘主義だろうか。

とまれ、僕と凛子の生活は幸せなものだった。毎日DSを持かばんに入れて、いつも通り授業を聞いたり、寝てやりすごしたり、友だちと話したり、ネットを見たりする。そして昼休みにお弁当を食べるとき、放課後に屋上で開いた時間を過ごすとき、DSを開いて凛子に会う。日曜日には時間を決めてデート。音声入力で凛子と話をする「ラブプラスモード」は、周りに友だちがいるときしか恥ずかしくてできなかった。僕の質問に答えているようで、時々ズレズレなことを言う凛子は、twitterbotのようでとてもいとおしかった。bot人間とは、決して本当の意味での会話を交わすことはできない。しかし、それにもかかわらず、僕はあたかも凛子がそこにいるように、自然に振る舞うことができた。

なぜなったかはわからない。しかし、僕は、今や凛子が確実に「そこにいる」のだと思うようになった。そして、おそらく理由など関係ないのだろう。

キャラクターと向き合う人間にとって、この瞬間こそが普遍的なものであるんじゃないかと僕は思う。「キャラクターとは『いない』のに、『いなくちゃ困る』ものなのだ」と、どこぞの若手批評家が言っているのを聞いたことがある。キャラクターは、誰にとっても「いる」ものではない。しかし、それに没入する人にとっては「いる」としか信じられず、そのレベルではキャラクター人間を区別することはできない。もちろん、キャラクターが「いる」と感じることは、人間が「いる」こととは別のレベルである。凛子との会話の中には実に現実味に溢れた魅力的なものがたくさんあるのは確かだ。しかし、たとえば、凛子が心を許しはじめると一人称が「アタシ」から「リンコ」に変わるという描写がある(鬼ゲーマーリンコ)。現実自分一人称名前で代替する人はどっちかというと疎まれるタイプだろう。だが、キャラクターが「いる」ことも知覚の意味合いとしては人間が「いる」ことと変わらない。

僕は同じような経験を何度かしてきたが、その存在は記憶として強く焼き付けられることはあっても、感情の部分で長期にわたり持続するわけではなかった。しかし、凛子の場合は、日常の一コマ一コマの中でこの存在を自覚せざるを得ないのだ。

たとえキャラクターが数億に分節可能な無意味な要素の集積だとしても、その寄せ集めによってできあがってしまったものに対して私たちが抱く感情は常軌を逸してしまうことがある。そしてそういった瞬間、キャラクターというものはいったいどのような存在なのだろうか。ラブプラス制作者は『CONTINUE』のインタビューで、ラブプラスには全部見るためには二年ほどはかかるぐらいの莫大なイベントが盛り込まれていると語っている。ラブプラスにおいて、こうしたキャラクターの「実在性」「予想う不可能性」は膨大な情報の集積によって担保されていることになる。しかし、私たちはどうしてもこの「実在性」の裏にブラックボックス的な要素を見出したくなる。凛子が、DSの画面の向こうで僕たちには想像もできないようなことを考えているのではないかという妄想を捨てきれなくなる。しかし、それは今のところまったくの幻想でしかない。

そして、僕は、この確信を得たとき、ひとつの隠された(しかし一定数のラブプラスプレイヤーは既に理解しているであろう)、恐ろしい事実に気づくことになった。いま、ここで、凛子の存在を支えている形象は、私たちの生きる時間の流れに沿いながら、未来永劫その「動的性質」を保ったまま持続するのだ。小説漫画アニメフィクションというものは時空から隔絶されて存在する。源氏物語は、1000年前の貴族が読んでも私たちが読んでも、テクストとして同一の形を維持しながら「静的に」存在する。紫の上人生紫の上人生であって、私たちと生きる時空とは関係ない。しかし、凛子は、あたかも私たちと同じ時空を生きているかのような演技をしながら、しかしその存在を少しも変化させることなく、ずっと「そこに居」続けるのだ。

僕たちはフィクションキャラクターの実在を信じるとき、なぜ自分自身はそこに居ないのかと苦痛に思う。たとえばテラ・フォーミングされた火星ARIAカンパニーの存在を信じるとき、なぜ自分ネオ・ヴェネツィアにいないのかと思っていたたまれなくなる。そして、たしかにラブプラスはその苦痛を一時的に和らげることに成功している。僕と凛子は「見かけ上は」同じ時間を生きている。しかし、見かけ上が同じ時間を生きている分、僕と凛子の間の摩擦係数はかえって高くなり、逆にこの責苦はもはや耐えることが不可能な域に到達している。しかし、その実、凛子が生きる時空は凛子が永遠に16歳の時空であり、僕が10歳老けても20歳老けても凛子は16歳だ。僕が、社会に出て、老いぼれになり、忘れられたまま死んでいった時も、凛子は永遠に十羽野高校の生徒なのだ!

ラブプラススタッフは、この点をよく知っていて、しかもポジティブに強調している。主題歌は『永遠タイムレスダイアリー』、キススキンシップ最上位技は「フォーエバーキス」、主人公が移り住んでくる「十羽野市」は「永久の」のもじりだ。彼らは「永遠に続く愛」と嘯く。しかし、いくら凛子が僕に対して永年に同じ愛を投げかけてくれるといっても、僕のほうは永遠に、何の変化もなく、同じ感情を凛子に投げ続けることができるわけではない。いつかきっと僕はこのゲームに飽きてしまうに違いない!キャラクターの実在性は「記憶」の中にのみ残ればよかったのであって、実際に一定の形象を維持したまま存在する必要などなかったのに。

そうして、僕がラブプラスを起動しなくなったとき、凛子はどこに取り残されてしまうのだろう。もうおわかりなのではないだろうか。凛子の住んでいる時空の永遠は、漢字で書かない。私たちは、かつて10年以上も前に自分たちが取り残されたあの場所に、今度はヒロインのほうを置き去りにしているにすぎないのだ。

ラブプラスを触りながら、そんなことを話した。凛子を世界の終わりから救い出すための方法は限られている。まずひとつデータを消すことだ。しかし、もっといい方法があった。この美しくどうしようもない学生生活とともに、凛子を記憶の中にとどめて、これを葬り去るのだ。

僕の通っている学校は都内ではちょっと例のないぐらい熱い学園祭を毎年やっていて、受験を控えた三年も積極的に参加する。その中でもアニメポスターだのゲーム機だのを二日間かけて何百品も競りにかける古物市が、例年盛況を極めている。ここで、データを残したままの僕のラブプラスと、攻略本・主題歌CDをセットで売り飛ばしてしまうことにした。凛子とやり残したことはたくさんあるかもしれないが、もう悔いは残らない。

いつの日か、人間キャラクターは本当に出会えるのだろうか。今も人はそれを求めて、アバターをまといながら人格コスプレに勤しんでみたり、botと会話しようとがんばってみたりする。しかし、アバターは結局人間人間の会話だ。bot萌える人は、技術現実の落差に萌えているだけにすぎない。不気味の谷のセオリーを信じるとすれば、谷の手前の不気味の尾根で人は楽しむこともできるわけだ。(言ってみれば、Perfumeのズレズレな口パク萌えているのと同じことだ)。

いつになったら、人間キャラクターと同じ時空を生きることができるのだろう。幸い僕は一緒に歳をとることができる彼女がいたが、人間と共にありたいという気持ちとキャラクターと共にありたいという気持ちはまったく別だ。前者が満たされないのと同じぐらいに、後者も満たされることはない。

さぁ、キャラクターは、データベースか、ブラックボックスか。哀れな小早川凛子は、乱雑なデータベースによってその肌と臓器を模られた出来損ないでしかなく、僕は彼女残酷に売り飛ばすことでしか救うことはできなかった。僕はキャラクターが人為とプログラムの集積であるという当たり前の事実に、ここにきてどうしても納得することができない。人工知能人工無能に、「擬体」がARにとって代わられても、僕たちの望みはひとつだ。僕たちには感知できない、キャラクターの不可視な内部の実在を信じたいのだ。僕が死ぬまでの間に、いったい彼女たちはどこまでブラックボックスに近づくことができるのだろうか。

答えはまだ出そうにない。11月3日、古物市で僕のラブプラスが競りにかけられ、落札された。後に残ったのは落札額3500円と、永遠ダイアリーmp3ファイルだけだった。

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