今日は11時に起きました。
腹が減ったのでスーパーでお総菜を買いました。帰りは近くの川で写真を撮りました。
月がキレイでした。
増田で過去ここまで日記らしい日記を書いた人間がいるだろうか。
いいやいないね。初の試みだ。
おわり
Twitter を楽しんでいる皆さん、おはようございます。小池です。 id:ssig33 です。
あなた達は監視されています。私も TwitterIRCGateway と Plagger と OpenFastladder という素晴しいツールを使って数千人を監視していますし、世の中には悍しい人達が沢山いる。
そんなことはどうでもいい。
今回は Twitter をもっと楽しむにはどうすればいいかというのを書こうと思います。
Twitter というのは人間の集まりですから揉め事が沢山あります。揉め事というのはとても楽しいのでコンテンツとして消費していきましょう。
僕はあまり人を嫌いになることがない。嫌いな人は堀江由衣と取引先の西崎さん(金払え)ぐらいのものであまり人を嫌いになったりしないのですが、大体人は人を嫌いになります。僕もかなりの数の Twitter ユーザーに嫌われている。人が人を嫌いになるというのはコンテンツとして面白いので積極的に消費していきましょう。
いつもこの瞬間はもう二度と来ない、全速力で駆け抜けるんだ!!!
人は誰かが嫌いなときそれを表に出したりしないのが一般的ですが、裏に出すのは一般的です。皆には知られたくないけど、親しい数人には知ってもらいたい、みたいのが一般的です。そこで大体陰口みたいのは少人数のオフとかサブアカとかメッセンジャーとか IRC とかで交されている。これを積極的に観測して消費していきましょう。
これのエクストリーム・スポーツ版として、自分と全く違う人格で自分と Follow 関係も切り離したサブアカウントを作って、そのアカウント経由でそういう裏のチャットとかに入って自分への陰口を観測するというのがあります。これはかなり面白いです。自分のことについて誰がどういう嘘を流してるかとか観測するのはクソ楽しかった。
実感として湧かない方も多いかもしれませんが、 Following/Follower の変化というのは上質なコンテンツです。これも積極的に消費していきましょう。今は一括 API とかあるからチェックしやすいです。
君にはね、君だけにはね
これで揉め事が観測出来ますし、他によくあるパターンとしては彼氏/彼女を Remove して Follow し直したりとかが観測出来たりします。 Remove して Follow し直した時間の post から喧嘩が観測出来ますし、その時誰がどこにいたかを確認すれば喧嘩の原因が観測出来たりする。これはとても楽しい。
また Following を監視していると、新しいサブアカウントを発見出来たりします。サブアカウントは大抵 Protected ですが、果敢に Follow Request を送りましょう。
顔出し女子とかを観測したい場合は HolyGrail さんのブックマークを監視するだけで十分で、これだけでかなり上質なコンテンツなのですが、可能であればフィードを購読して全ての写真を観測してゆきましょう。同じ場所の写真を誰と誰が上げているかとかを監視するといいですし、食器やテーブルへの映り込みから誰と誰が同じ場所にいるのかを観測することによって、揉め事への推測にエビデンスを与えることができます。
ネットばっかやってないで外に出ろ!!!!!!
今までの自分の経験から、気をつけることを書いておきます。不況かな、と思ったら読み返す。
お見合いの釣り書きだけはいくつか目を通させていただきました。
私にはもったいない素敵な方ばかりなのですが、
もし結婚するとしたなら、いろいろな条件ではなく
誠実な方を一番に選びたいと思ってしまいます。
そういうのって、結局確かめようがないから、釣りが書きは余り参考になりません。
そうは言っても特別恋愛結婚にこだわっているわけでもないですし…
要は結婚がしたくないのだと思います。
とりとめもない話ですみません。
http://anond.hatelabo.jp/20090211111554
そこはちょっと違和感あるなー。
良い結果が出たとしても、それは手段の正当性を証明したことにはならんでしょう。手段が正当でなかったことを(多少なりとも)免罪はするかもしれないけどさあ。で、そうやって良い結果が出たことを理由にして「あの手段を評価する」ということはやっぱり「度し難い」と評されても仕方の無いところではないかしら・・・。超たとえ話地獄に陥る可能性を恐れずに言うならさあ、雨乞いして雨が降ったからって、雨乞いってスゲーな!まじ最高雨乞い!ってならんでしょ。(や、これも明らかに間違った言い方なんだけど。少なくとも予算削ったことと財政黒字だしたこととの間には因果関係があろうし。どっちかというと例えるなら家族の誰かを生贄、とかそういう方向で考えた方がいいかな)
そりゃまあ、結果よければ全てよしと思いたいとこではあるけど、飽くまで認められるのは「結果的にオッケーだった」ということであって、その「手段が正しいかどうか」ってこととは全然違うし、ごっちゃにしたらいかんポイントではないかなあ。良かったのは結果だけよ、という。(ありむー的には、その結果にしたって長期で見たら信用ならねえよ、という話を併せてしているけど)
もしそういう「手段」の正しさを認めちまうなら、橋下知事とは比較にもならんような悪党が、何かあったときにそういう「手段」を悪用してしまうことに繋がりかねない。だから、結果から手段を正当化しちゃいけねえよ、ってことを言ってるんじゃないかなあ。
ここ、結構大事なとこじゃないかしら。
http://anond.hatelabo.jp/20090211111014
うーん、教育・福祉予算を減らすことによって財政黒字が達成できたにしても、その「教育・福祉予算の縮減」は必ずしもああいうポピュリズムに則ったやり方、世間を煽るやり方でなければ実現が不可能だったものかね。(や、まあ俺は大阪府民じゃないから、現場の人から、長年そういうぬるま湯に浸かりきった体質を甘っちょろいやり方でどうにかするなんて不可能ですからボケ!ガタガタ言ってるけど橋下のがよほどエライわアホ!と言われたりすると反論不能ではあるんだけど)また、「縮減するための予算」は本当に教育・福祉予算からでなければならなかったのか、ということも大事じゃないかなあ。どうも見てるとその辺おざなりになってそうだから・・・。
あと、破綻したら全てを失うのだから、手段を問わずに受け入れろ、つー手法は、いくらでも悪用が利くから安易に認めちゃまずいって。こーゆー言葉はあんま適当じゃない気がするし、またぞろ論争を巻き起こしそうだけど、トリアージを実施するときだって、黒タグ付く人に「全員診てたら全員助かんないから君諦めて」って面と向かって言い放ったりはしないでしょ。削られざるを得ない立場の人に対する慙愧の念みたいなもんはあるわけで。
そこを正当化しちゃって、削らざるを得ない立場の相手を「お前が甘い」「おかしい」と説教するのは何か政治のお仕事ではないと思う。行政が道徳やったらいかんて。まして、福祉・教育の予算を受ける相手って基本的に強者じゃなくて弱者なわけでしょう。中学生泣かせちゃったのとか、ああいうのを通じて支持を集める政治手法って相当ヤバくみえるわけです。おれが過敏なのかな。
橋下知事が、こうした手法を駆使して予算を削ろうとしたのでなかったなら、同じように教育・福祉予算が削られたとしても、橋下知事批判は相当に穏当なものとなったのではないかしら・・・(無論、それでも左翼的な視点からは批判しうる余地は残るけどさ)。
色々提案してくれているので、何度か挑戦しています。
私には馴染めません。馴染めないなら、それはそれで
放置して良いし、いつの日かしっくり来る時が
やってくるとは思うのです。
見て、少し怖いと思います。2ちゃんねる程では
ないと思うのですが、独特の雰囲気があって、
それも利用をしてみようかな?という気持ちの
妨げになっているように感じました。
>相手を受け入れるのが苦手なのかなーと感じました
ぎくっ。。図星です。現在自分が認識できているコミュニケーション上の一つのの目標が、ここを改善することです。
>そこのとこどうだろう?
まず自分が逆の立場になった場合、性欲的な部分では私は比較的間口が広くさほどえり好みをしないと思います。(だから自分の性欲を相手に受け入れて欲しいという願望が強くなってしまうともいえます)
言い換えると、性って、そういうパッション(向こう見ずというか、”えいっ”ていう勢い)の要素が大きくはないのでしょうか?それとも性の部分も理性でしっかり捉えるべきなのでしょうか。(ここは私が持っているとても大きな疑問なので、可能であれば教えていただきたいです)
しかし、性的な部分をとりあえず横に置いて、純粋に、共に手を携えていくパートナーとして冷静に考えたときには、誰でも良い訳ではありません。おそらくえり好みもするでしょう。
以上、理屈では矛盾があることも理解できるのですが、好きな女性を目の前にするとそういうことはどこかにとんでいってしまっているかも知れません。
>受け入れてほしいって欲求を前面に出し過ぎてたりはしないかな。
ここは多分逆です。欲求が強すぎる自分に引け目があるのでどうしても自分の気持ちを抑圧してしまうのです。女性に気はあっても、それをどんな風に出せばいいか(相手が引かないか)考えてしまい性的なオーラはほとんど出せてないと思います。
どんなことでも良いのでアドバイスをいただけるとありがたいです。
再度のお返事ありがとうございました。やっぱり私の目は節穴じゃありませんでした。いい増田さんを見つけて相談できたことに感謝しています。
今回は中二的な発言をしてしまうと思います。見苦しいかも知れませんがお許しください。
>とにかく、女性とコミニュケーションを取ろうとすること。そうしつつも、がっつかないこと。最後は思いやりでしょうか。
まず、ここを読んで私は二つの事を思いました。
一つ目(理性的な自分)はこう思いました。3つともできてる。ということは、それを継続していれば彼女が出来る希望があるって事じゃないだろうか。やった!
二つ目(感性的な自分)はこう思いました。”がっつかない”はできてる。できてるけど、そこはすごく我慢をしている。というか、全くがっついていないために、ひょっとすると気があることすら伝えられていないと思う。。。。。うわあああああああああ。
はあはあはあはあはあはあはあ・・・
がっついてはいけない。そういいますが、がっつかずに誘うってどういう事なのでしょうか。手をつなごうとするとか、キスを試みるとか、そういうことなのでしょうか。いまひとつ自分のイメージが正しいのか不安です。
(性欲って人間の持つ根源的なものという前提が自分の中にあるので、なぜそれを我慢して抑えなければならないのかが私は根っこのところで腑に落ちていないのだと思います)
http://anond.hatelabo.jp/20090211221748
将来的には独り身だと生活は一般の男性と比べれば厳しくなるでしょう。
離婚はしないでほしい、
それでもあなたが望むなら応じるし子供も産む、
と泣きついてきました。
情けない話ですがこんなことを言われてもまだ彼女が好きですし、
別れたくないんです。守ってやりたいと思っているんです。
子供は作らない方がいいんでしょうか?
彼女は本心では子供が欲しくないのでしょう。しかし私は欲しいです。
産んで子どもを可愛がれるのか、心配です。
彼とは別れるとか、作りたくないけど子供を産むとか、そんなのできるものなら最初からやってるだろ。
だいたい、セックスもしたくない男の子を産むって何のためだと思う?
生活力があるその女の場合、すべてはいい会社に勤めている旦那がいるという外面を保つためだけだろ?
もしくは離婚を先延ばしにして裁判等に備える時間稼ぎのための嘘か。
どっちにしてもろくなもんじゃない。
そしてもっと大きな問題はそういう相手の人格うんぬんではなく、
体面を保つための結婚や子作りをしようとするその女の「動機」を元増田が把握していないところだ。
もっとも大切な部分を理解できていなければ未来永劫、再構築などできやしない。
土台がないんだもん。築いたとしてもまさに砂上の楼閣。
パソコンの前で仕事する時間が長いからか,肩こり・腰痛が前に比べて悪くなった感じがする。スポーツジムで筋トレ・水泳をしても肩や背中が張る。マッサージを受けに行ったら,「最近,かなり張ってますね」とか「以前より堅くなりましたね」と言われる。深い睡眠が取れてないからだろうか。という時に目についたのが「なんとなく最近不調かな、と思ったら気をつけること」http://anond.hatelabo.jp/20090211000453だった。
日本人のための政策を進めてるから
「俺はその評価だと思っているんだからそのとおり言うよ。」って言っておけばおk
自分もいろいろと精神的につらい時期があったけど、何とか http://anond.hatelabo.jp/20090211000453 のような方法で乗り切ってきたなあ。
その時いつも思うのは、頑張れば事態は好転すると「無理にでも」考えないと、実際に好転しなくなるな、ということ。
難しい状況を良い方向に持ってくのは、精神的にも大変だと思う常日頃です。
最近気づいた、境目
l
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そこまではっきりと、境があるわけではないけれど。
一緒に、楽しい気持ちに、嬉しい気持ちに、幸せな気持ちになりたい、つらいときは支えてあげたい。
違うのは、期間だ、と思った。
友人は、どちらかというと、そのとき、その瞬間。一緒に生きたい、と思う。
親友や恋人は、もっと先まで見つめている。5年、10年、死ぬ間際、一緒に生きたい、と思う。
私の場合、きっとそういう違いだなあ。
他の人はどうなんだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20090211000453
こんばんは!
モヤモヤしたり、悲しかったり、そんなときに。
個人的にひっそりやってるブログでもいいかもしれないけれど、インターネットの上で自分の内なる気持ちの日記を書くと、やっぱり人の意見とか、コメントの数とか、少しは気にしてしまし、後で恥ずかしくなって消したりすると思うので、紙のほうがいいと思う。これはきっと、好みの問題です。私は紙のほうが好きだ。
あれですね、簡単に言うと、誰かと話すのもいいけど、自分とも話そう!ということです。
自分と話すのに、書く、という行為はとても有効だと思います。私の場合、とても調子がいいです。人に愚痴を言うのがあまり好きでない、ということもあるんだろうけれど。
自分の気持ちが整理されていくのは、とても気持ちがいい。
誰かと話すのも大切だと思います。外に出かけたり、他愛もない話を友人とすることで、びっくりするくらい心が元気になることも、あるよね!