ネットではどうやっても民主のイメージ悪いからな。実際、集められるだけ情報を集めて、どう判断しても、民主はまともな政党じゃないだろう。
民主を押してる連中は、じゃあ自民アンチだから民主押してるのかというと、何かすげぇ無理して民主マンセー。自民が天下り云々と左翼は攻撃するけど、小沢こそが天下りの象徴だろ。
とにかく民主プッシュで自民ネガキャンしようとして、結局全部ブーメランしちゃう。
気が付こうよ、民主プッシュじゃ自民は潰せないって。別の政党もってくりゃいいんだよ。
麻生が嫌われる云々というが、とにかく民主プッシュの連中がキモチワル過ぎで、中庸はそんなページ行かねぇ。
早く、左翼さんは民主以外の政党をプッシュして下さい。気持ち悪すぎて気持ち悪すぎて。無理してるって自分らでも判ってるだろ?
なんか疲れたな…。
日雇い派遣は、どう変わっても救われない。まずハッピーケースを提示しよう。次に、バッドケースを想定しよう。最後に、あり得そうな未来と救いの道を模索しよう。しかし、いずれにしても救いはない。(なお、日雇い派遣が禁止されない未来は現状維持のため考慮していない。現状に救いがあると考えるのであれば幸いであろう)
ハッピーケースでは、日銭を稼ぐことが出来る。直接日雇いが禁止されずにいることが福音となる。労働者のデータベースが作られる。データベースを管理する会社が、データを有料で提供する。有料でデータの提供を受ける労働力を必要とする会社が、労働者へと連絡する。直接日雇いが完成することで、給金への対応は各会社の良識に任される。
個人情報そのものであるデータベースの構築維持は、慣れた業界が参入するのが通例だろう。書類を揃えてお上から異議が出ず報道少なく気がつくとそこにいる会社が設立されるのが日本の社会における力学である。つまりカードが労働者の手に行き渡る。クレジットやキャッシングの。
喜ぶべきは、日雇い派遣の柔軟な再定義である。支払日は、雇用企業の支払日でありかつクレジットの支払日であると良い。彼らは日銭を稼ぐのではなく借り、月締めの給金をもらうのではなく返すのである。企業への労働は緩衝地帯を置くことによって柔軟な対価を得ることが可能となる。しかしながら傾向から対策を練るのが常識であるならば、新たな限度額が生まれることは想像に難くなく、そして彼らは使い続ける。救いはない。
バッドケースでは、二極化する。マクロ経済学者が労働者を流動的に扱うモデルが現出する。ある作業に特化した歩合制の組織が設立される。組織は、仕事を請け負う。労働力を必要とする会社が、組織へと連絡を取る。会社間取引によって、労働力は適応する。所謂モデル事務所の業態を真似ることになろう。月額の支払いの運用は、取り締まりと良識と労働者の忍耐との間で綱引きが行われる事が予想できる。
組織の乱立と保護は両立しないことが過去多くあった。未来がそうでないとは楽観が過ぎる。そしてよりはっきりと、日雇い派遣と過去呼ばれた労働者の遠心分離が行われる。階層はまるで義務かのようにその差を開く。救いはない。
あり得そうな未来では、それほど変わらない。明示的か否かを問わず広場に労働者は集まる。集合する労働者を企業がピックアップする。どこに募集があるかの情報を提供する会社が企業から金を取る。労働者は無料の情報を基に赴く。あるものは所属し、又あるものは所属しない。携帯電話がフリーペーパーよりも早く伝達する。情報は価値を持つが労働者の挙手は信用されない。あぶれる予約者にお帰りいただけるよう直接雇用の形態が進化するだろう。救いはない。
救いの道は、救いを期待しないことである。玩具を前にした子供に待てと言うのは躾である。事故にあった後のリハビリは気力が物を言う。しかし不幸は道を閉ざし、Vana'dielは未帰還者を生み出し続ける。あと5分早く家を出れば良いと言うのは持てる者の理屈であり、出来ないから彼らは日雇い派遣なのだ。本質的に彼らを想定顧客とし囲み続ける産業が無くならない限り、彼らは使うことを止めない。テレビのコンセントを抜かなければ、見ないことは意思の力である。意思の力が彼らを窮状から回復する。漠然とした現状認識は人間の美徳であるが、強烈なモチベーションが無いからこその状態であるのならば、卵と鶏の循環を終わらせるには至らない。環境が変わらず主体が変わらなければ、得られる結論もまた変わらない。環境は変容し続けるがその根本は彼らの稼ぐ日銭であり、また彼らは実にしなやかに己をフィッティングさせる。救いはない。
日雇い派遣はどう変わろうが救いはなく、よって彼らに救いはない。
…しかし「彼ら」が「日雇い派遣の彼ら」とのイコールを解消するのであれば、検証は無意味でありそこに新たな地平が開ける。
***
蛇足である。頭の中までの検閲が許可されていないのは夢想家には幸いである。
使い暇が無いか使う場所が無ければ彼らは使えない。まずこれで貯まらないことが足かせである「彼ら」が離脱する。そうでない「彼ら」も労働力の需要と供給を満たすことで社会への貢献と自らの居場所を確保する。何もない場所への貢献と、使う暇のない労働とは、いずれも国際社会からの要請によって旗を掲げることが求められる場合に有効な手だてに近似するだろう。絶対的な境遇が変わらずとも、世のものさしは常に相対的である。観測者は光景を解釈することで理解する。解決策は問題が霧散することで理由を失う。緩やかな淘汰圧による必然よりもガイドレールによる先導は、目に付くだけに自由の強制と捉えられるだろう。
同権は平等を意味せず、均一な社会への夢は遠く、しかして我々はここに居てどこにも行けない。ならば実質的な勝利を目指そうと思うが、水は低きに流れる。
貧困が肥満を助長する滑稽さは、精神への脂肪で精算される。豊かさを定義できないことで自壊する幸福ならば、甘んじようではないか。
それとはちょっとずれるが
まぁその友人がアホなだけだろう。
10年SEやってて、確かに調整待ちで空き時間が出来てしまって
そんな風に他の職業の人を見下したりするような事はしないなぁ。
そもそもSEしかやった事無いので、IT系じゃない会社がどういう仕事してるかわからないし。
なんか、運用保守系の現場は同じ作業の繰り返しで実力差が出にくかったり、またそうでない現場でも
実力が無くて仕事が遅いやつほど、人を見下したり先輩ヅラしたりして優位に立とうとする人が多い傾向があるかも。
バリバリ開発系の実力差が出やすい現場はそうでもなかったりするような。
ただの偏見だろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20081004093859 - [これはひどい]は使わないを書いた増田です。
件のエントリーにはなんやかんやとそこそこブクマがついて、予想以上の反響に驚きつつそのコメントを非常に興味深く読ませてもらいました。
今日はその後に思ったことを少し書こうかと。
前述の通り最初は「[これはひどい]って意味なくね?」と思っておったわけですが、
それはあくまで情報整理用ブクマという観点からのみ考えた場合の発想だったようです。
それはこのエントリーのトラバエントリーの「わたしはブクマをミニブログとして使っている」というコメントを読んで気がつきました。
はてブの外部コメント欄としての使い方がわたしはしっくりきてなかったのですが、これを読んでようやくピンときました。
確かに記事整理という観点のタグ付けではあまり有意義とは思えません。
ですが記事に対して「感じたこと」としてのブクマへの感情のタグ付けという観点から見れば[これはひどい]はそれほどナシではないなぁと。
そしてそのブクマをミニブログとして他人に「見せる」ということを意識した場合、
感情を表したタグというのは100文字という制限されたコメント欄を補足するものになり得るかもしれない、と思いました。
また[これはひどい]の元ネタの「セントエルモスの奇跡」に関しても少し調べたところ、[これはひどい]に含まれるニュアンスの幅も分かりましたしね。
全肯定とまではいきませんが、理解はしました。
それは「言葉狩り」或いはそれに類するもの。
正直、これには驚いたし理解に苦しみました。
わたしは別に[これはひどい]に関して「有用じゃなくない?コメントで良くない?」とは書きましたが、決して「止めろ、撲滅すべし」とは一言も言っていない。
「まぁ、結局は人それぞれだから好きにすればいいと思うけど。あたしゃ使いませんがね」とは書いたけどね。
にも関わらず「言葉狩り」とはこれいかに。
すごい飛躍だなぁと。どんだけ斜め上?
どんな道を辿ってそのコメントに行き着いたのか考えても思いつかず、
気が付いたらと想像の翼を広げまくって主旨から脱線しまくったわたしの頭の中は一大スペクタル。
「貴様!○時○分××のエントリーに[これはひどい]タグを付けたな!おいっ!しょっぴけ!あっ!逃げたぞ追え!!!」
「畜生…俺たちはただ感情のままに[これはひどい]タグを付けたいだけなのになんでこんな目に…。それもこれもあの増田のせいだ!この恨みはらさでおくべきか…」
ってなもんで。
ひとしきり妄想に耽り、我に返ったときにひとつの言葉が頭に浮かびました。
[これはひどい]
あーごめん、その通りだ。
イエロー・モンキーの歌でもあったよね。「いませんでした、いませんでした、いませんでした」って。
でもまあ、世界恐慌の真っ最中なので、自国で明るい話題があったら
喜びたい気持ちも分からなくはないので、そこはオトナになって見逃してあげてほしいところ。
やほんと、財産1/5よ。200万あったのに…。
化粧やオシャレもがんばってたらしいので
化粧やオシャレをがんばったから、
「18人に告白したら1人くらいOKするだろう」って?
そりゃ違うだろう。
たとえば、あっちの人こっちの人に告白しまくってる女の子がいたら、
誰でもいいの?って思うのは自然な流れだと思うよ。
その子のこといいかもって思ってた人だって引くよ。
別に女の子だから尻軽だとか言ってるわけじゃなくて、
男の子が一生懸命オシャレして女の子に告白してたって同じ感想を持つよ。
誰でもいいのかよ!って。
元増田はまず「誰でもいいから付き合いたい」的なあさはかさをどうにか
したほうがいいと思うのね。
ちゃんと自分と向き合って、本当に自分の好きになった人と恋愛できるように。
そこはゴールじゃない。スタートだよ。
人力民:はてなを本気で心配する古参多数、悪く言えば懐古主義的
ブクマ民:ダイアリー民を光とするならば影。じぇいこん社長となおやCTOの関係に近い
ハイク民:新興勢力。熱しやすく冷めやすいのは新興たるゆえんか
なんなんでしょうか、いったい。
ものすごく立派だということにしときますか。
>04年に「日本のアルファブロガーを探せ」を始めた時は、今日のように人気ブログのランキングはありませんでした
実際には04年はじめには現在もある主要なブログランキングがサービスをすでに開始しており、アルファブロガーイベントは後発であり、それらの、乱立するブログランキングと違って目立たないイベントでした。
http://mainichi.jp/feature/blog/archive/news/2007/20071128mog00m300017000c.html
>無名だけど影響力のあるアルファブロガーをボトムアップで探してリストを作り、紹介するのが目的でした。
「無名で影響力がある」って日本語なのでしょうか?
無名なブロガーを選んだと現在では認めていますが、著書では、ぜんぜん違う宣伝の仕方をしてきました。
著書で宣伝してきた内容はまったく違うものでした。
著書の副題は「11人の人気ブロガーが語る成功するウェブログの秘訣」というものです。
>日本を代表するようなウェブログを書いているスゴいブロガーの方々です 。ほかのウェブログからいつも参照されているようなブロ
>グ、ネットでの世論形成に大きな影響力を持っているようなウェブログ、そういうごく少数のパワーブロガーだけが「アルファブロ
>ガー」と呼ばれるのです。
徳力基彦の連載で宣伝されたブログや、氏が主催したブログ企画で選び出されたブログには、
さまざまな問題を指摘されてまとめサイトを作られたり、捏造が発覚してニュースとして報道されたようなブロガーまで含まれています。
徳力基彦氏は自分のしてきたことに対してのケジメはないのでしょうか。
型落ちPCで売れ残りを探せばあるのかな?>XPHome Note
再起動バッチコイ毎月パッチも当てちゃうぜ☆くらいの勢いならありかもしれない。
LAMPに比べたらやっぱりコストパフォーマンスは落ちると思うけど、
初心者のとっつきにはいいかもしれないです。
でも、同じことをLAMPでやらせたら、もっとさくさくいくけどね♪
http://anond.hatelabo.jp/20081007151410
の増田も言ってるけれども、
UPS+静音+省スペースの組み合わせとしてはそこそこいけるかも。
幸せとか不幸とかって、非常に主観的なもので客観視はできないから
考えるだけムダじゃない?
自分が「幸福か・不幸か」どちらかを考えるのに、
「幸福な人」と同レベルがそれ以上で、「不幸な人」よりは上である必要があり
自分の中で周囲と比較が行われ相対的に決定されるもので。
絶対的な指標はないわけで。
昔いた会社でもそうだったのだけれども、暇な時にやっている作業が本業にえらくいい影響をおよぼすから必要というのがありうる。
こういう時の対策の仕方で一番間違いなのはこれを「無駄な作業」として見える化してなくしてしまう事。
これによって起きるコストと効用を出して、効用を損なわずことなくコストを下げるために何ができるかを考える必要があるとおもう。