2008-07-16

しゃー berry bad

http://anond.hatelabo.jp/20080716014058ブックマークにある

喋り好きと非コミュが並立しうるんだろうか。

というコメントに対して反射的に思ったことを書きます。

私は喋り好きです。そして多分非コミュと呼ばれてもおかしくないタイプです。ですので、「ソースは俺」話で恐縮ですが、私としては並立し得るのではないかと思っています。

ただ、元増田の話から察するに、この場では「喋る」という言葉は「会話をする」という意味として使われているようです。そうだとすると、私を実例として挙げて「並立し得る」なんてとてもじゃありませんが言えません。

つまり、私が「前後関係を無視して言葉を字面通りに捉える」というミスリードをして、その結果、「喋り好きと非コミュは並立し得るよ!」「しうるよ!」というシャウトが私の脳内に響き渡った、ということを書きたくて書きました。

以下はそのミスリードを維持したまま脳内でちらついた具体混じり話です。人によっては本文とも蛇足とも捉えられると思いますが、私はそのどちらかであると定義する気は特にありません。

大きくなってから知ったのですが、私は喋ることが大好きです。しかし、その好き成分を悉く潰してしまうほど会話が下手で、そして苦手です。何故大きくなってから知ったかと言うと、独り言に対してずっと持っていた恥ずかしさや嫌悪感が、独り言の実践とともに薄れたためです。

きっかけはネットラジオでした。はじめは「自分の音声がリアルタイムで隔たったどこかに届く」ということにボトルメールのようなロマンを感じて手を出しました。しかし、そのうちどこかに届くことはかなりどうでも良くなって、ネットラジオという建前の下にひたすら音声を発するということに惹かれるようになりました。お茶を飲み飲み十時間くらい楽しく喋り続けるなんてこともしょっちゅうありました。リスナーさん用のメッセージボードもお義理で用意していましたが、リスナーさんが期待する反応というのをほぼ全く考えずに喋るため、時が経つにつれて殆ど使われることはなくなりました。

そのうち声を向ける相手がマイクでも壁でもあまり変わりはないということに気付き、無意識ではない独り言も発するようになりました。ちなみに無意識の独り言は昔から発しています。ウェブ日記のようにその時々に自分が思っていたことを、建前上であれ誰かにアクセスされる可能性のある形で記録するのは面白いことだという意識があるので、ネットラジオやそれに準ずる録音自体は今もある程度続けています。ただ、外部から干渉される可能性が「ほぼゼロ」から「ゼロ」になるという壁のメリットはとても魅力的なので、時間の占有率は壁の方が高くなっていっています。

約四年の間にそういう環境意識の変化を経験し、私は「喋る」ということ自体は好きなんだなあと認識するようになりました。その一方で「会話」への苦手意識はますます強くなりました。人と話す時にとちったりどもったり、相手の話の内容を聞き返したり聞き間違えたりする頻度も増しました。幸運にも無理に人と話さなければいけない環境にはいないので、自分から人(というかスムーズな会話ができないと不快感を露にする人)と接点を持たないようにすることで現状は安寧を維持しています。今のところそこで問題は生じていませんし、問題を感じてもいません。問題を感じたらまた意識改革があると思うので、その時その時で対処していけばいいやと楽観的に考えています。

そんな感じで現在は殆ど家族の人としか話をしていません。それにつれて、音声を介する話だけでなく、介さない話も減りました。ネットで文章による対話が何日かに一回の割合で成立したりもしますが、殆どはここのように話題そのものを主軸とした一期一会のような対話です。会話になると成立する頻度はぐっと落ちますが、音声の会話より成立し易い感じがします。どちらにせよ人と交わりたくてそこに参加した訳ではなく、むしろそれはリスクとして捉えつつ参加したり参加するのを断念したりしています。

そういう生活をしているので、友達もネット友達もいません。知り合いはそこそこいますが、積極的に会話なり何なりを持ちかけることはまずありません。持ちかけられるのも自称変わり者さんからのみです。こんな自分に関わっていただけるのは大変ありがたいと思いながら反応を返しますが、持ちかけられて嬉しいとはあまり思えません。

自分を非コミュであると称したことはまだ無いのですが、誰かから(主になじる意味合いで)非コミュと称されてもおかしくない人格だとは思っています。自称しないのは、口下手な私がこんなホットな言葉を口にしたら、うまく扱えなくて「私ってば今流行りの非コミュなんだよ、かっこいいでしょ!」というような誤読をされるのではないかと恐れているからです。人と交わりたがらない性格を恥じる気持ちはあまりありませんが、胸を張って主張する気もありません。しかし、読む側が分かり易いつっこみ用のキャラクターに飢えている時は、まず口下手な人をそういうキャラクターに仕立て上げる傾向があるので、そして私はそんなピエロ役に仕立て上げるための悪意ある誤読を快く受容できるほど心が広くはないので、そのきっかけになる可能性のある非コミュと言う表現は避けるようにしています。

ただ、今延々と述べた内容も、「自分ではフツーだと思ってるんですけどー、人からはよくちょっと変わってる子だねって言われますー」というようなありがちかつ下手くそな自分アピール手法と捉えられて、本来抱かれなくて済むマイナスイメージをむやみに付加している可能性もあるので、場合によってはあえてすっぱり「非コミュである」と言い切った方が良いのかもしれません。迷ったのでこうして思いのたけを併記することにしました。

長々と書きましたが、要するに私は一方的に喋るだけ喋って、そのくせそれに見合った分の人の話を聞きたがらないタイプなのです。口の上手い人、エンターテイメント性を意識している人なら「喋りたがり - 聞きたがり」のような関係を結ぶことも可能かもしれませんが、そんなことを要求されるくらいなら私は無口な人のふりをして過ごします。そういう人は容認されるかどうかはともかくとして、あちこちに存在していると思います。「並立」が容認レベルなら並立は難しいと思いますが、存在するだけでいいなら並立はし得りまくってると思います。

オチは考えてみましたがこれといって適切なものが思いつかなかったのでそのまま終わります。

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