みなさんの反応がありがたいです。
確かに彼は気遣う、気配りタイプ。でも甘えん坊でもある・・・!
実は、私自身も、自分で言うのも何ですが気配りタイプ。でも彼に甘えてしまうこともある・・・!
お互いの気配りすぎがよくないのか・・・!?
むしろ私は「過度なプレゼントは迷惑に思われる」と思っていて。
「○○をチョコと一緒にあげたかったけどお返しに気を遣われるから・・・でもどうしようかな聞いてみよ・・・あ、○○要らないのね。。じゃあチョコ2個」みたいな。
それが彼としては「ネタフリしといてそれかよ!」だったのかも。
普段も、数日前の私のバースデーも、「いいよいいよ(お金は)出すから!」のシーンが多くて、申し訳ないなと思いつつも、こういうときは甘えたらいいのか!と思ったりした(この話もした)。
でも彼からしたら、本当は結構無理してて、バレンタインで仕打ちをくらってガックリ、だったのかな。
> よく気が回るということは、他人の気が回らない場面によく気づくということでもあって、よく出来た人だとそんなこと気にもならないんだけど、ちょっと神経質だと澱のようにストレスを溜めてしまうことがある。
はっとさせられました。ありがとう。
はてブストーカー? http://anond.hatelabo.jp/20080211195135 を書いた元増田です
ブクマにコメントをくださったみなさん、どうもありがとうございました。
それから、id:hrkt0115311さん、記事を読みましたhttp://d.hatena.ne.jp/hrkt0115311/20080214/1202995990
ていねいにアドバイスを書いてくださって本当に有難う御座います。
気にしすぎなんですねーやはり。
まだはてなに来て間もないものですから、私の知らない《はてな村の暗黙のルール》があるんじゃないかなんて思っちゃって…気にしていました。
hrkt0115311さんやみなさんがおっしゃるように、これからは気軽にスターをつけていきますっ。
わたし、はてなスターってとてもいい機能だなぁって思ってます。
そういう人なんだとは思う。
けれどその時に必要以上に憤慨されたりするととてもかなしい気持ちになる。
「この人は私が好きなのか、それとも理想とする女だから好きなのか」と疑問に思ったりする。
チョコだけだったから「本命じゃないってことなんだろ?」とか言われるのと同じ、って言われたら嫌だなあ。
「そういう怒り方」に慣れてしまったら、それはそれでさみしいものなのでは、とも思う。
怒ってる人に「はいはい」ってあしらうの、余計に怒らせるんじゃないかと思う。
なんでそんなに怒るのか、原因を解決したいと思う。
もしかして相手は単に虫の居所が悪いだけなのか?
だとしたらそんなに怒らなくても・・・(あまりの剣幕に泣いてしまうこともあった)。
つきあって数ヶ月、だんだん親密になってきたから、相手も気持ちが緩んでこうなったのかな?とも思う。
確かに一般人にとっちゃそうだよね。
うちの職場に、PCの上に三国志のフィギュアみたいのを3つくらい並べてる、人格的にはごく普通の人がいるけど、別の人が「あの人絶対オタクだよねー!」って言ってた。一般人は逆に「マニア」なんて言葉使わないよね。
マニアって言葉を使ってもらえるのはせいぜい車マニアとかまでで、アニメマニアや漫画マニアなんて言葉はそもそも使わない。アニメ好き=アニメオタク。漫画好き=漫画オタク。
元も子もないことだが、おれは数学を学ばなければならない理由は、日本が工業国家である点にあると思う。われわれが一定レベルの経済(つまり回りまわって福祉)を維持しようとすると、外国から買って、加工して、輸出するしかない。そのためには競争力が必要で、それを維持する工業力のために技術に堪能な子弟が必要。そのためには数学を教えておくことは不可欠。
ロマンも志もないが、逃げられない事実だと思う。アメリカは同じような認識をスプートニク・ショックのときにして、全面的な教育改革に踏み出している(失敗もあったが成功もあった)。
将棋が論理的だっていうけど、考え方にがっちりと厳密な枠をはめて決定論的に運営しているのは数学だけだろ。将棋は直感でやってる部分があるし、そもそも教えるときに子供が直感でやっているのか論理でやっているのか判定できない。そうなると、論理的な考え方なんか教えられない。
鶴亀算でやる、理攻めの考察や、方程式で覚える「論理に裏打ちされた機械的操作」なんてのは、結構血や肉になるものだがな。すくなくとも、それらしいことを言われたときに、そんなことがありうるかを自分で考察するか、妄信するか、どこかに分かれ目がある。そのときに論理的な思考は必要だな。数学がそれを与えるってのは、あながちうそじゃないと思う。
最後に、
「数学なんか何の役にも立たない」
と言っている人間は、
どちかかがNoなら、その意見は聞く必要はないな。特に前者がNoの人。役に立たないんじゃなくて、数学がわからないんだから。
例えばのお話。
AさんがBさんをお誘いしました。
でもBさんはAさんのことがあまり好きではありません。
なのでBさんは「予定がある」と嘘をついて、Aさんの誘いを断りました。
Aさんは「じゃあしょうがないね」と言いました。
ここまでの場合、確かにBさんはAさんに対して嘘をついたけど、Aさんから見たら
「Bさんは予定があるんだ、しょうがないな」でしかないわけで。
Aさんは嘘をつかれてるなんて思いもしないわけですから。
でもこの後、実はBさんに予定なんてなかった、単にAさんと会いたくないということが
Aさんにバレてしまった場合は、BさんはAさんに対して嘘をついたことになる。
文章にすると難しいなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20080215153753
http://anond.hatelabo.jp/20080215154955
そっだども、まっこと瀬戸内なー、すんどらんばってん、ほんまはわからんかってん。えろーすまんたい。
でも、山口弁、特に末尾が好き。
…ちゃ
…しよる
…しちょる
…じゃろ?
…ん?
周りにいるのは、いわゆる私文専願な人ばかり、つまり数学をろくにやったことのない人ばかりだ。
彼らに本当に思うのは、論理的思考力がないということ。
彼らと議論をしても、論理的なつながりがまったくない。文章を見てもめちゃくちゃだったりする。
数学を修めてきて、知らず知らずのうちに論理的な思考力が身についていたんだなと感じた。
もちろん、彼らは彼らで、文章を読解する力なんかは優れていて、僕はまだ追いつけそうにないんだけど。
なぜ特に数学をやるのかって点は、
古来からみんな通ってきた道だから、他の道に比べてノウハウの蓄積が圧倒的って点を指摘すればいいんでないかな。
後で直すかも
そうおもうので、普段どおりの時間に帰れないときには必ず電話している。周りはおれが尻に敷かれていると思っているらしいが、別にかまわない。夏、汗だくになりながら、冬、寒い台所であかぎれを我慢しながら作ってくれた料理を冷ますのは忍びない。
それ以外の理由を一生懸命考えている。
いやなことがあったら何でも言って欲しいと言っているけど・・・言いづらいと言われたらそれまで。。
普段は全く普通。むしろ気遣ってくれる。ジェントルマンと呼んでいいと思う。
確かに子供だ。5歳くらい年上だけど、私が面倒見てあげなきゃとか思うときがある。
でも突如キレられて「ええーーーーー!?」と慌ててそれまでの私の行動を振り返る。
そういう人多いのかな?やっぱ私がそうさせてるのか?
まぁ、この他にもあると思うけど、取り急ぎ。
初めての匿名ダイアリーにトラバが来て「はてなすげー」と興奮してすぐ書く私はお調子者だ。
さて。自分の「彼氏さん」は匿名性を出すために書いてみたのだけど、普段は「名前+くん付け」だ。と意味も無く説明。
「お伝えした」は、キレる相手にビビった私の心理状態。まさに。見破られてびっくりだ。
彼氏さん(まだこの表現)は「自分(=彼氏さん)の理想とする私」と違う私が存在した場合、怒る。というかたぶん拗ねているのだと思う。そう言うと本人は憤慨しそうだな・・・。
私は割と人と喧嘩をしない。だから妄想族の私が理想とした部分と違う行動を彼氏さんが取っても、受け入れようと思っているし現にそうしている。けれどどうしようもないときには、やっぱり衝突はするだろう。けれどちゃんと逃げずに向き合いたい。
けれど彼氏さんは時折逃げる。そして頭が冷えた頃に謝罪→私も自分の悪いところを謝罪→なかなおり。
前に喧嘩した時は「自分がどうしてこんな風にとつぜん怒ってしまうのかわからない」と言っていた・・・(!)。
けどそれも相手の個性なので長い目で見ていこうと思った。
私はいつもこういうタイプの男性とつきあっているような気がする。私が男の人をだめにしているのではないか、と不安になるときがある。
晩御飯を作って、同居人を呼ぶ→「ちょっと待って」とか何とか言って、すぐにやらなくていいことをしてる→待ってると、「先食べてて」とか言う。その時は「分かった」といって先に食べ始める。文句も言わない。でも。
でも俺は、自分が作った料理をそうやって冷めてから食べられたくない。
別に自分で作って自分で食べる分には全然いい。でも人が作ってくれるときくらい、言わないでも食卓の片付けとかやって、箸とかお茶とか用意して、出来立てを食べて欲しいんだ。というかそうするのが当然の礼儀だと思うんだ。
こういうのは今まで受けてきた家庭の教育方針とかによって一人ひとり違う領域のことなのであまり強く言えないのだけど、でもやっぱり気分はよろしくない。自分の作った料理が無造作に扱われたように思えてしまう。
でも些細過ぎて本人には言えない。「冷めるからはやく食べよう」とか言うけど。それでは全然言いたいことが伝わらない。なんかもう、微妙に気持ちが悪い。
チョコにギフトをつけなかっただけで「距離を置こう」と言われてしまう
二人の関係も謎だけれど(他にも理由あるんとちゃう?)
論理的思考力というのもそうなんだが要するに集中力と持続力ですよ。
だから、1年かけて絵を仕上げたとか、不利な対局でも投了を認めざるを得ないとこまで
がんばるとか、そういう事と等価な部分はあるでしょう。うんざりするような単純作業を、
完成形をイメージしてこつこつ進めるという事は、「すぐに結果を出すこと」とは矛盾するし、
頭のよい人ほど安直に結果を出すことを求められがちになるけど、みんながそれをやったら
責任のなすりつけあいと業績のかすめとりあいで社会が貧しくなるので。
ただし特に数学をやっときゃよかったと思うのは「数式の読み方」がわからないことです。
オイラー(理系、数学者/天文学者、有神論者)が無意味な数式をディドロ(文系、哲学者、
無神論者)に突きつけて、「ゆえに神は存在する、返答せよ!」と恫喝した、という
ネタがありますが(ちなみに実話ではないそうです)こういう不安感は一介の文系としては
いつも持っています。そうすると、ちょっと数学を知っている人が tips 的なものを書い
たり、最新科学の業績について「わかりやすく」解説した本とかを買って読んで何の役にも
立たないといったことにもなるわけで、そういうのが嫌なら少し勉強したほうがいいです。
まぁなんというか工学的制御の結果として「一定速度」とかを実現している電車の
到着時刻を考えるのに微分方程式は要りませんよね(時刻表を見ればいい)。で、最短
ルートを求めるという「組み合わせ最適化」についていえば数学ができることは
それほど強力ではないし。エンジニアリングがうまくいって世の中に人工物が溢れた
結果が、数学があんまり役に立たない、という現状をもたらしたともいえます。
「A.趣味が深い」人のことも「B.趣味が高じて、イッチャった」人のことも同じく「オタク」と呼称してるからこの問題はややこしくなってると思う。一般人はBを批判してるのに、オタクはAを批判されたと思って、差別されたと感じる。
二つを区別する新しい単語が必要ではないか。
バレンタインにはチョコ以外にギフトもつけなければならない、という一般常識はあるのですか?
と「OKwave」風に思ってみる。
それ以外の要因もあるのかもしれないけど、
彼氏さんに手作りチョコ2作品を贈ったら「そりゃないだろ」な反応だった。
・ギフトの話もしていたり
(○○なら、チョコと一緒に送っても重荷にならないだろうと思った)
(でも「○○は使う?」「使わない」という会話で断念。チョコ2作品に決定)
(旅費を彼氏さんが負担)
(私は誕生日でお返しするつもりだった。その意向も伝えてあった)
いやいや、こんなことを書いて同意を求めるのは子どもじみているね。
肝心なのはそういうことじゃないんだよね。
これで「しばらく会うのはやめよう」と言われてしまった。
まあ、冷静になりたいのは判るけど。
こういうことから目をそむけないのが大事だと思うんだけどな。
話し合って解決したいんだけどな。
理想と違うことに対して、がっかりされることが多くてかなしくなる。
もちろん、この内容(目をそむけたくない、云々)はご本人にしっかりお伝えした。
ここでこっそり愚痴るのはフェアじゃないから。
http://anond.hatelabo.jp/20080215034414
はてなが入っている渋谷のオフィスが取り壊されちゃうんだってね。残念…。
その意見は誰も受け入れられないし、問題の解決方法にもなってないのだけれど、反論は非常にしにくいときに「屁理屈」といわれるはずだよ。
役立たずの理屈。
結構前、同じような内容の文章を、
一つはやや傲慢な態度で
もう一つはひたすら謙虚な態度で書いた。
もちろん、両方増田で。
そうしたら同じ内容なのに、傲慢な方は物凄いバッシングで、謙虚な方は、優しいコメントばかりだった。
ああ、書き方によって受け取られ方は随分と違うんだなぁと思った。
書きたいことは同じでも伝え方によってブクマコメントが随分と変わってくるんだって。
同じ内容なのに真逆のコメントがつけている人もいて、ああ、そんなもんなんだ、と思った。
でも、これが人として普通の反応なんだなって思った。
冷静に分析してブクマコメントしているのかと思ったけど、結局は感情に左右されてしまうんだから、そんなに気にしなくていいんじゃん、て。
それまでは偉そうなコメントを見ると、ちょっとイラっとしてコメント欄に書けばいいのにって思ってたけど。
今はそもそも腹が立たない。
まあそんなもんなんだよね。なんで、俺、あんなに他人に完璧求めちゃってたのかなぁ。俺がいい加減でバカでつっこまれやすいのと同じように、向こうだっていい加減でバカで何も考えない「事がある」。それを俺はなぜかいままで分かっているようで分かってなかった。
どんな風に書いても俺の真意は汲み取ってもらえるなんて幻想だった。
なんで、俺のこと誤解したままコメントつけてんだよ、ふざけんなって思ってたけど、それ、間違ってた。
不完全なものを書けば相手に伝わらないのは、当然なのに、俺、なんで赤の他人に甘えてたんだろう。
これからは、ちと気をつけるわ。
直前の分から考えると、「かけなと」→「かけうどんなど」だろう。