するとお店による勝手な利用金額の下限制限は,第5条(信用販売拒絶の禁止)に反するんだ。
ttp://www.jacard.co.jp/company/0801.html
だから表れる端から消えてしまうのは仕方のないこと。モニタに表示された文字が紙の上にある文字にあまりに似てるから、消えたり変更されたりすることが不自然に思えてしまうけど‥それは最初から錯覚です。
(ポエム入った)
某所にも書いたのだが、あまりに悲しいのでこちらにも書く。
なんだかさ、深夜になると記事を消しちゃう人がいるんだわ。
01:47にはさ、http://anond.hatelabo.jp/?page=2666の最初のエントリがhttp://anond.hatelabo.jp/20070104211946だった訳さ。
それがさ、02:10にはさ、http://anond.hatelabo.jp/20070103211017まで後退しちゃうという。
丸一日だせ。30分しない内に一日だぜ!っていう
悲しいです。
そして今現在、http://anond.hatelabo.jp/20070103062330という。諸々考えると100エントリ近く消えてるんじゃないかと言う。
悲しいです。
とんぺれとぺれとんぺれとぺれとーぺりらるーらるらるらるーらるらるーらるらるあるーらるりるーらるれーるりらー♪
http://anond.hatelabo.jp/20070810001656
http://anond.hatelabo.jp/20070131134814
この2つのURLを人から教えてもらったので、ちょっと書いてみる。
「なぜはてなにモーヲタ系が多いか?」という問いに対する答えとして、個人的には「はてなアンテナ開始時のユーザーにモーヲタが多かったから」と思っているんだけど、「じゃあなんでモーヲタが多かったの?」という問いに対する答えは……というように遡って考えていって、大体最初の辺りから説明していくことにする。
2001年頃、「エスロピ」というサイトがあった。一言で言うとハロプロ系個人ニュースサイト。エスロピは「あめぞう2000ヘッドライン」に登録されていた。それを見たさかもと氏(当時のサイトは「楽しい科学」)が「モーヲタ系サイトをヘッドライン表示させると便利なんじゃないか?」と考えて作ったのが「モーヲタヘッドライン2001」。
別の流れとして、2001年8月には2ch閉鎖騒動「8月危機」があった。それに伴い、2chモーニング娘。板の「モ娘。(狼)」の避難所が乱立、というか避難所を作るのが一種の流行だった。その1つとしてさかもと氏も掲示板を作った。スクリプトは「17スクリプト」を使用。
そして「モーヲタヘッドライン2001」と掲示板の2つを統合して、「モ娘。(楽)」として2001年9月17日に公開。
しかしヘッドラインでの表示がなかなか上手く行かなかった。そこで注目されたのがアンテナ用スクリプト「なつみかん」。これを使用して作成されたのが「娘。アンテナ」。「モーヲタヘッドライン2001」の替わりとして2001年10月20日に公開。
実は、この1ヶ月前に「豚の戰爭」猪川氏が「LINKS ARoMATIZED」というスクリプトを使って作成した「娘。アンテナ(仮)」(後の「娘。アンテナ(假)」)というのが公開されていたんだけど、知名度が高いとは言えなかった。
この頃はまだはてなアンテナもなかったので、モーヲタ系サイトの更新取得は「娘。アンテナ」が一手に引き受けていた。サイト登録数もどんどん増えていって、派生サイト「「娘。アンテナ」ガイド」の2002年5月頃の記録では約150サイトが登録されていた。
このようにモーヲタ系サイトのコミュニティが形成されていったが、その反面、ハロプロ自体の勢いは下降線を辿っていったように思う。これは各人の感じ方にもよると思うけど、個人的にはそう感じていた。ハロプロがどうこうというよりも、個人的な「飽き」の部分が大きかった。象徴的だったのは2002年7月31日の「ハロマゲドン」で、これが1つの転機になった。
前後して2002年5月、「はてなアンテナ」サービス開始。当時のモーヲタの感覚としては「自分でサイトを選んだ娘。アンテナが持てる!」というものだったと思う。
そして2002年9月「娘。アンテナ」閉鎖。同年10月「エスロピ」閉鎖。「娘。アンテナ」の登録サイトリストをそのままインポートした「娘。アンテナβ」など後継的なアンテナがいくつか出現し、2003年1月には「はてなダイアリー」がサービス開始。この流れが現在まで続いて、「はてなにモーヲタ系が多い」という現状認識に至ったのだと思う。
全体の何割かというのはもちろん把握できないけど、サービス開始当初は「はてなはモーヲタばっかりだな」という印象があった。あと、当時は雑誌「ネットランナー」で「はてなランキング」と銘打った、はてなアンテナからのアクセス数によるサイトランキングが掲載されていて、それを眺めても「はてなはモーヲタばっかりだな」という印象があったと記憶している。
以上。事実関係が前後していたり思い違いしている可能性があることを一応お断りしておく。
<余談1>
はてなを「村」と揶揄しているのを見て、そういえば昔エスロピ界隈も「村」と揶揄されたことがあったなあと思った。
http://choco.2ch.net/morningcoffee/kako/1006/10067/1006718399.html (117-126辺り)
<余談2>
http://www.machineworks.co.uk/whg/2006/09/post_3057.html
最近は「ハロヲタ」という呼称をよく見かける。モーニング娘。も一応存続しているけど、勢いという側面から見るとベリキュー(Berryz工房、℃-ute)の方が上だし、昔ながらの「興味あるのは娘。だけ」あるいは「娘。が一推し」という層は大分減ったと感じる。というか、今でも残っているファン層というのは、推しの違いこそあれ、「ハロー!プロジェクト」という団体自体に少なからぬ思い入れがあるように思う。
だから「モーヲタは死んだ」ではなく、「モーヲタは死んでハロヲタになりました」ということにすればいいんじゃないの。どうでもいいけど。
<本文に関連した項目による年表>
もう書かないと思ったけど、どうも、言わずにはいられないなあ。
私の書き方がまずいのか。また、誤読がある。
文章の書き方だと思うのだけど、そもそも人を集めることに注力していないWeb企業なんてない。
娯楽か否かという考えは手段の選択にしか過ぎない。
わたしの言いたいことは以下のこと。
(1)娯楽が人を集めるのにもっとも効果的な手段のように見える(という私の仮説)
(2)よって、ネット企業は、ネット特有の娯楽を作り出すことにもっと注力すべき
そもそも何が変わるの?
それは分からない。
今のようにネットがないその昔、自民単独政権がなくなったときだって、ある意味、「大衆の気持で」世界は変わったわけだが。
ネットがない頃に比較して「よい選択」ができるようになるというのか?
その理由がさっぱり分からない。
念のために書くけど、私は、「良い選択」が出来るとは一言も書いていない。
しかし、世界のシステムが変わることを「促進」することは可能だと思う。だったら、出来るところから面白おかしく変えていったほうがいいのではないか(=世界が変化することを促進したほうがいいのではないか?)というのが私の立場。自分が生きているうちに、未来の世界を見たいから。
たしか本当はお店側はカードの利用を金額で制限できないんじゃなかったかな。1円から使ってもいいんだよね、本当は。
あとその手数料をあからさまに金額に上乗せしてもいけないんだったよな、確か。
でもソースを探してるんだがみつからん。
元増田です。それはないと思う。
どういう意味?の次に「ええと、耳を閉じてるっていうのは…?」って物凄い怪訝そうな顔で聞かれたから。
ニュアンスで伝わるかな、って思ったんだけどそりゃ伝わるわけもないよねーとあとになって思った。
耳を閉じるっておかしい言葉の使い方なのかしらん。確かに変な言い回しだとは思うけど。
目を閉じる、ってのと対応するわけじゃないんだよな、なんとなく。
どちらかというと目を塞ぐ、ってのと耳が閉じるが自分の中では一緒のイメージ。うーん。
でも人に伝わらないなら造語にすぎないよね、きっと。
単に不快な気分にさせたので、相手がむっとしたというオチか。
元々の文章にすごい違和感があるのよ。
面白い娯楽を作れば人は集まる。それはYesだ。
人が集まればそこでの意見はなんらかの大きな影響力を持つ。それもYesだ。
大きな影響力のほうが世界を変えていく可能性が高い。それもYesだ。
ここまでのことは当たり前のことで誰でも知っていることだ。
よって、ネット企業は、ネット特有の娯楽を作り出すことにもっと注力すべきではないだろうか(ところで、Googleの20%ルールは機能しているんだろうか?面白そうなサービスを自前で生み出さずに買収ばかりしているが)。それが結果的に、人を集め、ネットの力を増幅し、世界を変えていくんだと思う。なんかまとまらないけど、そんなことを思った。
文章の書き方だと思うのだけど、そもそも人を集めることに注力していないWeb企業なんてない。
娯楽か否かという考えは手段の選択にしか過ぎない。
面白い娯楽があると、人が集まる。人が集まれば、自然に知恵も集まる。知恵が集まれば、実際に行動する人も集まる。テレビにしても、稼ぎ頭はバラエティな訳であって、報道の特権にせよ、稼ぎ頭としてのバラエティが機能しなくなれば、・・・もし、娯楽の中心がネットに移れば、日本の政治も(経済も)かなり変わるのではないだろうか。
そもそも何が変わるの?
今のようにネットがないその昔、自民単独政権がなくなったときだって、ある意味、「大衆の気持で」世界は変わったわけだが。
ネットがない頃に比較して「よい選択」ができるようになるというのか?
その理由がさっぱり分からない。