2007年05月01日の日記

2007-05-01

http://anond.hatelabo.jp/20070501142230

そもそも、エンタメ至上主義って完全に肯定されてる訳じゃないと思うが。だからこそ、こういう議論が起こるんだと。エンタメ至上主義者の「数」は多いと思いのは確かだと思うが、でも世間には何となく「批評家の方が偉い」という空気も同時に存在している。だから「エンタメ至上主義だし、批評的な見方なんてべつにエラくねーよ」的な意見が出てくる。「楽しければいいよ」もしくは「批評できる人ってエラい」という意見は今の日本で何となく肯定されているけど、「楽しければいいし、それが批評的な見方より劣ってるとも思わない」という意見はまだマイナーめ。動機はそこである気がする。

数が多けりゃ十分じゃん。

だから元の増田エントリで「市場によって肯定されているものをさらに言論によっても肯定しようとする、その動機とはなんぞや」って先に書いてるのよ。

作品が売れていて、儲けが出ていてるんだから、市場の流れとして「エンタメ」の新作が作られなくなることはないし、制作費も必要十分に割かれる。新しい作り手もきちんと登場するでしょう。そこに言論の必要なんかないのに、なんでいちいち「エンタメ」を言論で肯定せにゃならんの。だから、

気持ちは分かるけども、でもそういう事を言いだすと、初めのエントリも何とでもいえてしまう。

これは「何とでもいえ」ません。市場で負けているサイドがそこに別の評価軸を持ち込もうとすることには必然性があるけれど、市場において評価されている作品をさらに評価する軸をことさらに設ける必要なんてないでしょ。

それと同じく、本当にそうだと思う人は、黙って自分だけ知的鑑賞をしていればいいんだよな。それなのに、わざわざ攻撃的な物言いで書き込むってのは、本当は自分の中で揺らいでいるから、それを他人に「そうなんだよ」って認めてもらって安心したいだけなんじゃないの?

これもくりかえし。知的鑑賞派は黙ってりゃ市場が縮小していくばかりなので、折を見て宣伝・広報をする必要があんの。一方、感情的消費は放置しておいてもどんどん広まっていくの(前提がいらない表現だからね)。自意識問題じゃなくて市場の問題なの。

だから「知的鑑賞の方がエラいに決まってるんだぜ!」と言ってる奴も、もしかしたら「消費側」なのかもしれないんだよなー。そうであっても、同じような意見、言えるんかな。それこそ、「自分が知的鑑賞サイドに属してるから、強い事が言える」という、勝ち馬に乗っかっちゃってるだけなんじゃないのか、と。たまたま自分が鑑賞サイドにいると「思える」事を強みに、言っちゃってるだけなんちゃうんか、と。まあ、そこはどうだっていいんだが。

自分が「鑑賞」サイドにいると思っている人間が間違っていたとして、それは指摘されたら直せばいいだけの話じゃん。そんだけのことよ。間違いだと思ったら謙虚に受け入れる姿勢があれば、間違えることなんか何も恐れることではない。間違ってたからといって人が死ぬわけじゃなし(かといって無責任に放言しては知的誠実さに欠けるけど)。

感情的消費は本当に完全に受動的なのか、ってのも疑問だし、

理解するための特別な努力もなく理解できるのが「感情的消費」だそうなので、それは「受動的」じゃないかしらね。

なぜ「エラいか、エラくないか」、言ってみれば「俺の方がエラいか、そうでないか」な対立にしたがるのか。

先のレスと重複。

大体、「頑張ってる奴の方が頑張ってない奴よりエラい」→それは場合と時による。大体の場合当てはまる、というだけに過ぎないし「能動的な態度エラい」にいたっては初耳だ。

絶対この反論は出ると思ってた。「時と場合による」と思ってるから「大前提」と書いたんだけどね。書き方が悪かったね。申し訳ない。頭に「原則」と補足してもいいや。

しかしまあ、「能動的な態度エラい」っつーのは撤回しないけど。「頼んでもいないのに押しかけてくるのも能動的だからオッケーかい?」っていうケースは、原則として「能動的なのがオッケー」とされているから、押しかけてくるやつに自分が迷惑していることを伝えるのが大変なんでしょ、と。能動的な態度リスペクトされない社会だったら、押しかけるも何も能動的に動いた瞬間にそいつキ○ガイ扱いじゃん。

個人的には、エラかろうがエラくなかろうがどうだっていいし、そもそも自分の見方がどっちサイドかすらよくわかんね。皆すげえなと思うばかりさ。

そう本当に思うんなら慎み深く黙っといたほうがいいんじゃないかな。本当はこんな風に思ってないくせに。「エラかろうがエラくなかろうがどうだっていい」と思っている俺ってクールだぜ、と高みに自分を置いた気になって正面から意見表明すんの避けて傷つくのを避けてんだよ。そのくせ自己顕示欲はあんの。自分の欲望は素直に認めて対処したほうがいいと思うけど。

http://anond.hatelabo.jp/20070430223055

生存に執着するあまり人生無駄にしてしまうというのは誤った判断かもしれないし、

さっさと人生の電源を消してしまって人生の利得を減らさないようにすることこそが最善の策なのかもしれないし、

「これから先いい事もある」なんて言葉は単なる欺瞞であって励ましの言葉ではないかもしれないし、

一度も会ったことない人に「生きて欲しい」と願うなんて単なる私のエゴでしかないかもしれないし、

それでも増田さんは死んじゃ駄目なんです。

でないと、泣きますから。私が。

anond:20070501021600

それを自主的にやっている俺ガイル。父から俺に受け継がれた性質をこれ以上拡散させたくない。許されるなら兄弟も殺したいくらいだ。

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anond.hatelabo.jp/ - 50k - 2007年4月30日 - キャッシュ - 関連ページ

流れる雲のように、降り注ぐ雨のように

考えなくていいことは考えない、考える事だけを考える。

しなくていいことはせず、する事を為す。

ただ受入れず、よく受入れる。

ただ掴まず、よく振り分ける。

凡てを確かめるように。とりわけ存在を確かめるように。

テイラー展開より難しい税務署対応

んもーーーーー!!

助けてーーー!!

貸借対照表とか意味わからないよ。

いや、一応ファイナンスの方に明るいから意味はわかるんだけど、自分で書けない。

貸借の仕訳が意味わからない。

というか意味がわからないんだ。

ため息しかでないんだ。

税務署にいってきたよ。

前回、書類が足りなくてくじけて、今回はこれ違うんじゃね?っていわれてくじけて帰ってきた。

いくらやっても終わる気がしない。

いったい何日これに掛けているんだろう。

んもーーー!!預かり金とかなんなのさーーー!!!

直感的に理解できない。なんだこの難しさは。

http://anond.hatelabo.jp/20070501130700

前述の借りられなかった人は一人っ子親族が歳なのでみんな隠居してたんだ。

だが、そのひとの親は上場企業の役員だったそうな。

恐ろしい話しよ。

やはり正社員は強いのかね。

自分も正社員ではないので(会社役員って正社員?)借りようとしたら断られるのかな……。

不動産を持ってる知人が居る。

建て替えようとしているのだがもう1年も一家族だけでていってくれないそうだ。

ものすごいリスクだよね。他の居住者がでていって家賃収入も激減するのに建築にも取り掛かれない。

日本の場合居住空間を保護するという点ですごく優遇している。

これは小作人の時代の優遇政策らしいのだけど、、はたしてどうなのだろうかね。

ヘンな人には貸したくないという気持ちはわからないでもない。

だが保証人制度はなくしたほうがいいと思う。

とくに連帯保証とか。

ヤオハン社長さんが昨日無一文になったとかテレビに出てたんだけど、どうして会社がつぶれて社長の個人資産までまきあげられるんだ?

http://anond.hatelabo.jp/20070501141909

そりゃ興味のあることを頭から否定されたら怒りますわ。

それが現実離れしているかどうかはあまり関係無く、言い方の問題だったのでは。

http://anond.hatelabo.jp/20070430223055

自分みたいな人間がどんな人生をこれから送るのだろう

って、”客観的に”見られるようになったら気が楽になるかな?

世の中どうにもならないことは殆ど無いね

すけーと

五輪終わってからもう随分経ったというのにいつまで引っ張る気なんだろ?

ガニマタでのけぞるだけの

       /⌒`ヽ
  二 と(、A , ) つ  < イナバウアー
 三    V ̄Vノ( ゝ
  二    └=ヲ└=ヲ

とかいい加減飽きないかー。もう醜態にしか見えない。にゃー。

マイミクが減る奇病

にかかったみたいだ。特に痛い日記もウザいコメントもつけてないのに。

http://anond.hatelabo.jp/20070501113314

ハリウッド映画的な価値観が全面化している世の中で

まだまだハリウッド映画的な文脈自由なエンタメ至上主義の価値観を追認しようとする、その動機ってのは一体なんなんでしょね。

そもそも、エンタメ至上主義って完全に肯定されてる訳じゃないと思うが。だからこそ、こういう議論が起こるんだと。エンタメ至上主義者の「数」は多いと思いのは確かだと思うが、でも世間には何となく「批評家の方が偉い」という空気も同時に存在している。だから「エンタメ至上主義だし、批評的な見方なんてべつにエラくねーよ」的な意見が出てくる。「楽しければいいよ」もしくは「批評できる人ってエラい」という意見は今の日本で何となく肯定されているけど、「楽しければいいし、それが批評的な見方より劣ってるとも思わない」という意見はまだマイナーめ。動機はそこである気がする。

もしくは、本当にエンタメ至上主義が世間で完全に肯定されていて、「楽しければいいよ。それに別に批評的な見方なんてエラくないよ」が多数派だとするなら、『こんなにその意見が世間に知れ渡り認知されたというのに、未だ少数の自称知的人が「批評の方がエラいもんね」と言っている事が、単純に「鬱陶しい」』のかもしれない。『いい加減認めろよ、これだけ知れ渡って認められたんだから。いつまでもそれを認めずあがいてんじゃねえよ』っていう感じの。

というか、人は他人の「自分は他の人より上だよ」的主張は、どれだけそれがアホらしくてマイナーであっても大概ムカつくものだから、そこまで掘り下げなくても動機はそれで十分な気がする。目の前で、「俺批評的な目で見れる人間だから。お前ら消費するだけの凡人と違ってさー」などといわれたらそれがどれだけ世間でマイナーだろうがなんだろうが、「は?ふざけんな」という反応になるのは動機云々語らなくても至極当然な反応。それも炎上しやすいネット上だしな。

もう少し話を進めるなら、馬鹿にされてムキになってキレるやつ、必死で反論するやつって、「知的鑑賞」に憧れてる人だよね。憧れてても届かないから「知的鑑賞のできるやつがそんなにエラいのかよムキー!!」って怒るの。


気持ちは分かるけども、でもそういう事を言いだすと、初めのエントリも何とでもいえてしまう。

何も誰も言っていないのに、突然「鑑賞の方が消費より上だよ?上なんだよ?消費してる連中多いけど、鑑賞の方が上なんだよ?」とか言い出すのは、結局皆に、そうだって認めて欲しい、「うん、おまえは知能の高い見方をしているんだね。エラい人なんだね」と言ってもらいたい、という欲求からきてるだけなんちゃうの、と言われてもしょうがない事になる。本来の鑑賞が消費がは実はどうだってよくて、単に「俺はエラいだろ?」アピールに過ぎないのでは、ということになりかねん。

まったく興味がないひとは黙々と「感情的消費」に勤しんでるもんでしょ。


それと同じく、本当にそうだと思う人は、黙って自分だけ知的鑑賞をしていればいいんだよな。それなのに、わざわざ攻撃的な物言いで書き込むってのは、本当は自分の中で揺らいでいるから、それを他人に「そうなんだよ」って認めてもらって安心したいだけなんじゃないの?……って別にそんな事思ってはいないけど、そういう風にどうだって言えてしまう。だから、変に一つの主張から他人の心情を考え出す、というかほとんど想像妄想捏造しだす、ってのはどうかと思うのだ。そんないらんことしても逆に議論で不利になるだけだし、損だ。

あとこの手の議論で思うのは、そもそもその「鑑賞」と「消費」の定義がなされてなくね?ってことだ。それは鑑賞じゃなくて感想とか言ったりするけども、じゃあそれ誰が判定してんの?っていう。実際、「俺は知的鑑賞側にいる」と思っているような「自称批評家」さんは日本人に凄く多いけど、でもその人たち皆が本当に「知的鑑賞」が出来ているわけじゃないのは自明だし。当たり前のように皆分けているが、俺にはその境界線はいまいち分からん。仮に境界線があったとしても、実際には、その境界線付近をうろうろするグレーゾーンが一番多いだろう。例えば「楽しかったよ」だけじゃなく、「こういうところが、やっぱあのアニメ監督だからどーのこーの」と付け加えれば、知的鑑賞になるんだろうか?でも、実の所、「一見わかってる風」の「なんちゃって批評」を書くのは、たいした労力じゃないんだよ。今なんて、ある程度の知識ならちゃちゃっと手に入るし、それを元に「それっぽい」事を言ってみるのは、別に難しく無い作業。でもそれが「それっぽいだけ」か、「本当の批評」なのか、誰が、どうやって見分けるんだ?それとも、「それっぽい」のでも知的鑑賞の仲間入り?本当は表面だけの知識で背伸びして通ぶってるだけ、そんな文章でも、知的鑑賞に入れるのだろうか?どんなに的外れであってもいいんだろうか?うーん。わからん。

だから「知的鑑賞の方がエラいに決まってるんだぜ!」と言ってる奴も、もしかしたら「消費側」なのかもしれないんだよなー。そうであっても、同じような意見、言えるんかな。それこそ、「自分が知的鑑賞サイドに属してるから、強い事が言える」という、勝ち馬に乗っかっちゃってるだけなんじゃないのか、と。たまたま自分が鑑賞サイドにいると「思える」事を強みに、言っちゃってるだけなんちゃうんか、と。まあ、そこはどうだっていいんだが。

エラいよ。ボーっとしてても感じとれる受動的な「感情的消費」よりも、能動的な要素が関連する「知的鑑賞」の方がエラい。なぜなら能動的な態度エラいから。「頑張っている奴の方が頑張ってない奴よりエラい」ってのは近代以降の社会大前提でしょ?

感情的消費は本当に完全に受動的なのか、ってのも疑問だし、そもそも「エラい」って何なんだ、と思う。仮に消費と鑑賞が分けられたとしても、どちらがエラいという問題ではなく別ベクトル楽しみ方、楽しみ方の種類に過ぎないのではないかと思うんだが、なぜ「エラいか、エラくないか」、言ってみれば「俺の方がエラいか、そうでないか」な対立にしたがるのか。ここまで来ると、いよいよ本格的に「俺はエラいんだ、そうだろう?」と認められたがっているだけなんじゃねーのかと思えてくる。大体、「頑張ってる奴の方が頑張ってない奴よりエラい」→それは場合と時による。大体の場合当てはまる、というだけに過ぎないし「能動的な態度エラい」にいたっては初耳だ。おいおい、頼んでもいないのに押しかけてくるのも能動的だからオッケーかい?そうじゃないだろう、そういうのは全てケースバイケースにすぎない。流石にそんなに社会は単純じゃないよ。てか、それだけ単純なら楽だよなー。近代以降の社会は寧ろ、多様な価値観にもまれまくりでどんどん複雑化しているんじゃないっすかね。

個人的には、エラかろうがエラくなかろうがどうだっていいし、そもそも自分の見方がどっちサイドかすらよくわかんね。皆すげえなと思うばかりさ。

http://anond.hatelabo.jp/20070430223055

生きてたら辛い事も沢山あるけど時々良い事にもぶつかるよ。

あまり他人をみて自分自身を否定せず、君は君そのままの姿でいいんだから。

死にたいと思ってもいいよ、虚無を感じるのもいいじゃないか、

ただ増田さんが死んじゃうと悲しいです。

信頼できるものと結びついた疑似科学ほどやっかいなものはない

うちのカミさんは、医療系の仕事をしていることもあって、基本的にはマイナスイオンみたいな疑似科学についてはばっさりと切り捨てるようなタイプなんだけど、なぜか唯一信じているのがあって、それはホメオパシー

というのも、彼女アロマテラピーが好きで、その辺の資格をわざわざスクールに通って取るほどなんだけど、どうやらその学校の受講コースの1つにホメオパシーがあるらしい。で、普通にアロマテラピストのコースを受講する際にも、一応、関連としてホメオパシーもちょっと習うらしい。

そんなわけで、彼女脳内体系ではホメオパシーはしっかりとした科学の一環に並んじゃってるのね。

彼女ホメオパシーのこともうちょっと勉強しようかしらとか言うので、それって疑似科学だよって親切にと学会の本とかを出して教えてあげたら、すんごく激怒された。

そんな、UFOとか心霊療法と同じ扱いにするんじゃない!!! だとさ。

もう、こっちがどれだけ理性的にホメオパシーの怪しさを伝えても、全然聞いてもらえない。まあ、結局、彼女も他に勉強したいものがあるらしいので、ホメオパシーへの興味は収まったのだが、そのときほど生々しく、疑似科学を否定することの難しさを感じたことはなかったよ。

そう考えると水伝とかってすごく危ないよなあ。だって、学校の授業って文脈にはいってくるんだぜ。

http://anond.hatelabo.jp/20070501140342

休学にしろ。

最大4年間休学できるぞ。

その間は学費もいらない。

退学して選択肢を減らしてしまうことはないよ。

未だ遂ず

三連休実家帰ったら父親が骨折してた。

私<「どうしたの?あれ?階段から落ちた?」

母<「ああ、あれね。自殺未遂」

なんでも、死のうと思って家の屋根から飛び降りたらしい。

ちょっと前には、首をつろうとしたこともあるとか。

へー………


言ってよ。

http://anond.hatelabo.jp/20070501131814

ところがどっこい、今までの経験上、苦労をすれば必ずいい結果が訪れるとは思えない。

乗り越えた先はガクンと垂直に落ちる崖かもしれないのです。

http://anond.hatelabo.jp/20070501134331

コピペされないようにすることと、改変しにくくすること、かなぁ。

志し半ばで大学を辞めなきゃならなくなった

自分の将来、そして夢を思うと今は辞めるべきではない。

しかし、今の家庭状況じゃ俺が帰らなきゃ崩壊してしまう。

悔しい。ここまで来るのに幾万もの時間と友人を犠牲にしてきた。

女も遊びも全て捨て、やっと大学に入れて、あと一年卒業だったのに。

やはり神は人に優しくない。いつか見てろ、俺はまた這い上がってやるよ。

いつか見てろよ!

http://anond.hatelabo.jp/20070501134331

気になったからググってみたらこんなのがあった。

michの遺言 : 企業のお詫びの文章を集めてるblog

http://mich.milkcafe.to/archives/000477.shtml

更新停止してるみたいで残念、他にまとめ的なサイトは無いかなぁ。

※追記

上記トラックバックより他にまとめてる方を確認、こちらも現在更新されてないのかもしれませんが。

お詫び広告ログ

http://d.hatena.ne.jp/owabi/

http://anond.hatelabo.jp/20070501084016

なんか、ネトウヨの発言とか、街宣カーのがなりとか聞いてると、

「愛国=日本以外は嫌い(日本に敵対する国は嫌い)」みたいになってて、アナルが小さい感じがする。

日本への愛と、周りへの憎しみは分けてほしいなぁ。

ふと疑問に

ワーナーミュージック・ジャパン-重要なお知らせ

http://wmg.jp/artist/neworder/important_notice070501.html

ニュー・オーダー ベスト&ストーリー に関するお知らせ

弊社より2005年10月5日に発売されました標記のDVD商品(品番:WPBR-90495/90496、以下「本商品」)に関しまして、以下の通りお知らせいたします。

弊社は、本商品のパッケージデザインにつきまして、写真家宮本隆司氏より写真集「CARDBOARD HOUSES」に収録された同氏の写真作品に酷似しているというご指摘(下記比較写真参照)を受け、国内外の関係者と事実関係の調査を行っておりました。その結果次の事実を確認いたしました。

1. 当該パッケージデザインは、本商品に収録された映像作品「Ceremony/セレモニー」から抜粋された画像を基にしたものであること。

2. 当該映像作品は、外注を受けた映像監督宮本氏の作品に触発され、剽窃・盗用の意図はなかったものの、これをモチーフ制作したものであったこと。

上記の結果を受け、弊社といたしましては、宮本氏の作品と本商品のパッケージデザインの表現が酷似しており、両作品が混同されるおそれがあるとの同氏の指摘を真摯に受け止め、弊社による本商品の国内出荷および海外関連会社による出荷を停止いたしました。つきましては、このことをお知らせいたしますとともに、宮本氏並びに芸術愛好家および音楽ファンの皆様にご迷惑をおかけしましたことをここにお詫びいたします。

2007年5月

株式会社ワーナーミュージック・ジャパン

代表取締役社長 吉田

(以下比較写真略)

こういう、お詫びの文章を画像形式にしてるのをたまに見るんだけど、なんで?

見る側の事を考えたらテキスト形式の方がいいと思うんだけど。

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