2007-05-01

http://anond.hatelabo.jp/20070501113314

ハリウッド映画的な価値観が全面化している世の中で

まだまだハリウッド映画的な文脈自由なエンタメ至上主義の価値観を追認しようとする、その動機ってのは一体なんなんでしょね。

そもそも、エンタメ至上主義って完全に肯定されてる訳じゃないと思うが。だからこそ、こういう議論が起こるんだと。エンタメ至上主義者の「数」は多いと思いのは確かだと思うが、でも世間には何となく「批評家の方が偉い」という空気も同時に存在している。だから「エンタメ至上主義だし、批評的な見方なんてべつにエラくねーよ」的な意見が出てくる。「楽しければいいよ」もしくは「批評できる人ってエラい」という意見は今の日本で何となく肯定されているけど、「楽しければいいし、それが批評的な見方より劣ってるとも思わない」という意見はまだマイナーめ。動機はそこである気がする。

もしくは、本当にエンタメ至上主義が世間で完全に肯定されていて、「楽しければいいよ。それに別に批評的な見方なんてエラくないよ」が多数派だとするなら、『こんなにその意見が世間に知れ渡り認知されたというのに、未だ少数の自称知的人が「批評の方がエラいもんね」と言っている事が、単純に「鬱陶しい」』のかもしれない。『いい加減認めろよ、これだけ知れ渡って認められたんだから。いつまでもそれを認めずあがいてんじゃねえよ』っていう感じの。

というか、人は他人の「自分は他の人より上だよ」的主張は、どれだけそれがアホらしくてマイナーであっても大概ムカつくものだから、そこまで掘り下げなくても動機はそれで十分な気がする。目の前で、「俺批評的な目で見れる人間だから。お前ら消費するだけの凡人と違ってさー」などといわれたらそれがどれだけ世間でマイナーだろうがなんだろうが、「は?ふざけんな」という反応になるのは動機云々語らなくても至極当然な反応。それも炎上しやすいネット上だしな。

もう少し話を進めるなら、馬鹿にされてムキになってキレるやつ、必死で反論するやつって、「知的鑑賞」に憧れてる人だよね。憧れてても届かないから「知的鑑賞のできるやつがそんなにエラいのかよムキー!!」って怒るの。


気持ちは分かるけども、でもそういう事を言いだすと、初めのエントリも何とでもいえてしまう。

何も誰も言っていないのに、突然「鑑賞の方が消費より上だよ?上なんだよ?消費してる連中多いけど、鑑賞の方が上なんだよ?」とか言い出すのは、結局皆に、そうだって認めて欲しい、「うん、おまえは知能の高い見方をしているんだね。エラい人なんだね」と言ってもらいたい、という欲求からきてるだけなんちゃうの、と言われてもしょうがない事になる。本来の鑑賞が消費がは実はどうだってよくて、単に「俺はエラいだろ?」アピールに過ぎないのでは、ということになりかねん。

まったく興味がないひとは黙々と「感情的消費」に勤しんでるもんでしょ。


それと同じく、本当にそうだと思う人は、黙って自分だけ知的鑑賞をしていればいいんだよな。それなのに、わざわざ攻撃的な物言いで書き込むってのは、本当は自分の中で揺らいでいるから、それを他人に「そうなんだよ」って認めてもらって安心したいだけなんじゃないの?……って別にそんな事思ってはいないけど、そういう風にどうだって言えてしまう。だから、変に一つの主張から他人の心情を考え出す、というかほとんど想像妄想捏造しだす、ってのはどうかと思うのだ。そんないらんことしても逆に議論で不利になるだけだし、損だ。

あとこの手の議論で思うのは、そもそもその「鑑賞」と「消費」の定義がなされてなくね?ってことだ。それは鑑賞じゃなくて感想とか言ったりするけども、じゃあそれ誰が判定してんの?っていう。実際、「俺は知的鑑賞側にいる」と思っているような「自称批評家」さんは日本人に凄く多いけど、でもその人たち皆が本当に「知的鑑賞」が出来ているわけじゃないのは自明だし。当たり前のように皆分けているが、俺にはその境界線はいまいち分からん。仮に境界線があったとしても、実際には、その境界線付近をうろうろするグレーゾーンが一番多いだろう。例えば「楽しかったよ」だけじゃなく、「こういうところが、やっぱあのアニメ監督だからどーのこーの」と付け加えれば、知的鑑賞になるんだろうか?でも、実の所、「一見わかってる風」の「なんちゃって批評」を書くのは、たいした労力じゃないんだよ。今なんて、ある程度の知識ならちゃちゃっと手に入るし、それを元に「それっぽい」事を言ってみるのは、別に難しく無い作業。でもそれが「それっぽいだけ」か、「本当の批評」なのか、誰が、どうやって見分けるんだ?それとも、「それっぽい」のでも知的鑑賞の仲間入り?本当は表面だけの知識で背伸びして通ぶってるだけ、そんな文章でも、知的鑑賞に入れるのだろうか?どんなに的外れであってもいいんだろうか?うーん。わからん。

だから「知的鑑賞の方がエラいに決まってるんだぜ!」と言ってる奴も、もしかしたら「消費側」なのかもしれないんだよなー。そうであっても、同じような意見、言えるんかな。それこそ、「自分が知的鑑賞サイドに属してるから、強い事が言える」という、勝ち馬に乗っかっちゃってるだけなんじゃないのか、と。たまたま自分が鑑賞サイドにいると「思える」事を強みに、言っちゃってるだけなんちゃうんか、と。まあ、そこはどうだっていいんだが。

エラいよ。ボーっとしてても感じとれる受動的な「感情的消費」よりも、能動的な要素が関連する「知的鑑賞」の方がエラい。なぜなら能動的な態度エラいから。「頑張っている奴の方が頑張ってない奴よりエラい」ってのは近代以降の社会大前提でしょ?

感情的消費は本当に完全に受動的なのか、ってのも疑問だし、そもそも「エラい」って何なんだ、と思う。仮に消費と鑑賞が分けられたとしても、どちらがエラいという問題ではなく別ベクトル楽しみ方、楽しみ方の種類に過ぎないのではないかと思うんだが、なぜ「エラいか、エラくないか」、言ってみれば「俺の方がエラいか、そうでないか」な対立にしたがるのか。ここまで来ると、いよいよ本格的に「俺はエラいんだ、そうだろう?」と認められたがっているだけなんじゃねーのかと思えてくる。大体、「頑張ってる奴の方が頑張ってない奴よりエラい」→それは場合と時による。大体の場合当てはまる、というだけに過ぎないし「能動的な態度エラい」にいたっては初耳だ。おいおい、頼んでもいないのに押しかけてくるのも能動的だからオッケーかい?そうじゃないだろう、そういうのは全てケースバイケースにすぎない。流石にそんなに社会は単純じゃないよ。てか、それだけ単純なら楽だよなー。近代以降の社会は寧ろ、多様な価値観にもまれまくりでどんどん複雑化しているんじゃないっすかね。

個人的には、エラかろうがエラくなかろうがどうだっていいし、そもそも自分の見方がどっちサイドかすらよくわかんね。皆すげえなと思うばかりさ。

記事への反応 -
  • まだまだハリウッド映画的な文脈自由なエンタメ至上主義の価値観を追認しようとする、その動機ってのは一体なんなんでしょね。 言い方を換えれば、市場によって肯定されているもの...

    • ハリウッド映画的な価値観が全面化している世の中で まだまだハリウッド映画的な文脈自由なエンタメ至上主義の価値観を追認しようとする、その動機ってのは一体なんなんでしょね...

      • そもそも、エンタメ至上主義って完全に肯定されてる訳じゃないと思うが。だからこそ、こういう議論が起こるんだと。エンタメ至上主義者の「数」は多いと思いのは確かだと思うが、...

        • 数が多けりゃ十分じゃん。 だから元の増田エントリで「市場によって肯定されているものをさらに言論によっても肯定しようとする、その動機とはなんぞや」って先に書いてるのよ。...

          • おっとっと。書き忘れてた。 「俺はべつにどっちの立場でもありゃしませんよ」と書いたのは、 「こいつは俺の敵なんだ!!」って短絡的に勘違いする人がいる可能性を考えて、それを...

          • ええっ!?意味がわからん。もしかして、「楽しければいい人用の作品」と「知的鑑賞したい人たち用の作品」とあること前提に話が進んでいるのか。 そうだよ。最初のエントリのリ...

        • http://anond.hatelabo.jp/20070502093510 作品が売れていて、儲けが出ていてるんだから、市場の流れとして「エンタメ」の新作が作られなくなることはないし、制作費も必要十分に割かれる。新し...

    • つまり、「留保のない向上心の肯定を!」ってことですか。

    • まだまだハリウッド映画的な文脈自由なエンタメ至上主義の価値観を追認しようとする、その動機ってのは一体なんなんでしょね。   http://anond.hatelabo.jp/20070501113314 エンタメ至上主義の...

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