問題の無いPCにインストールした場合、サービス監視するため重くなったり、様々な問題を誘発したり(バスターのCPU暴走事件、ノートンのWikiデータ全削除事件、MSのOutlook削除事件など)します。
妊娠中ずっと立って約40分乗っていた。
立ち位置はいつも同じ。優先座席の前。
目の前に座ってるのはかなり太った30??40代のサラリーマン。
数ヶ月間彼に席を譲られることはなかった。
産休に入る前の最後の出勤日。
私は同じ場所に立っていた。
終点に着いて降りるときすれ違いざまに彼はかなり大きくなった私のお腹に蹴りを入れた。
http://anond.hatelabo.jp/20070310175244
私は、形あるものやお金に生きる目的を求めてしまっている。このおじいさんにみたいに、生きてることそのものに喜びを見出せるなんて、とても素敵だなぁ。
で、それから、何の問題があるんだい?
エリートになろうと思うと塾に行かなくてはならなくなったので、子供の教育にお金をかけられる親とかけられない親の間で子供に受けさせられる教育の格差が広がりました。教育の格差が、ほぼそのまま子供の将来の所得格差に繋がる社会になりつつあるので、将来的には教育の格差がそのまま世帯収入の格差に直結していくようになると思われます。
ゆとり教育自体は、一元化した教育カリキュラムを多様な特性や要求を持つ生徒に無理やり一斉に受けさせると言う不合理なシステムを緩和したことに意義があったと思いますが、問題は、より学習したいと言う生徒の塾通いに対する公的な補助、もしくは学校教育機関とは別の人材を登用した公的な学習指導の場が存在しなかったことだ、と私は考えます。
http://anond.hatelabo.jp/20070310165613
カリキュラムにそんなに問題は無いと思ってるんだけど、どうなんだろ。
ただ、今一番問題なのは、ゆとり教育の成果をろくに確かめないまま、「このカリキュラムは駄目だ」と決め付けてしまったこと。こんな短期間で教育方針を変えるのは異常。
意味があることを前提にしてことがそもそもの間違いなのでは。
あなたが考えてるように、もし世界中の人が死んでしまっても、何もまずいことはないし、もし地球がぶっ壊れたとしても、何ら問題はない。意味があることを前提にしないで、真っさらな頭で考えれば、同じように意味もまたない。
90歳を超える祖父からは戦争は最中も終わったあとも生きぬくだけで精一杯なんだ。
命があればそれでいいんだ。
そう聞いて育った。
戦前、日本において土地はそれほど価値のあるものではなかったし、お金を生むものでもなかった。
資産家だった祖父の父は下町を中心に100件近い長屋を所有していたそうな。
当時は建物の方が価値があったそうな。
年寄りの言うことなので話し半分に聞いているけど、すごいなと思う。
祖父は資産家だった父よりお金を借りて土地と借家を数件。そして国債をありったけ買った。
戦争が始まり国債は紙切れになり、空襲で実家は爆弾の直撃ですり鉢になった。
命は助かった。実家はなくなった。長屋はもはやどうなったかも知らない。
いままでやっていた貴金属関係の生業は国から禁止され続ければ逮捕された。
慣れない商売を転々とし家族を食わせるのに精一杯だった。
戦後の混乱期の苦労話しや、保証もなくすべてがなくなった当時の話しを聞いていると自分にはあまりに理不尽な話しだと思うし、やるせない。
国に保障をもとめたくならないのだろうか?
食うのにも苦労した祖父母からは悔しさの念は感じられない。
生きてこれただけで感謝している。
そうニコニコ笑う何か超越したような祖父母を見て、戦争はできればしたくないものだなと思う。
環境の変化のせいで不幸になるなんて私はとても許容できない。
世界が平和でありますようにと願いたい。
こういう老人の話しはビデオかなにかで記録しておいたほうがいいのかな。
僕と元彼女が付き合っているときに、
僕と彼女は大学のクラスメートでたまにノートを貸し借りする程度の関係。
当時に3人で食事に行って、女性2人がそのとき意気投合していた。
それは5年前の話。
その後、その元彼女は新しい男が出来て、自分のもとを去っていった。
そしてどのような経緯でそうなったのかは分からないのだが、
僕はそのクラスメートと付き合うことに。
そして5年ぶりの3人での食事。
元彼女に、自分たちが結婚を前提に付き合っていると報告したら、
喜んでくれた。
相変わらず2人は意気投合していて、
僕がもてない理由について熱く語っていた。
元彼女は、僕を受け入れてくれる人が現れたこと、
そしてその人が自分とタイプが似ていることを喜んでいた。
↑と↓のエントリを見て思ったこと
http://anond.hatelabo.jp/20070202001119
腐女子さんは羨ましいね。
カモフラージュ目的でも空気を食むように自然に恋人を得られる。
おまけに相手の見栄えまで選択権があるときたもんだ(何様だよ)。
1週間前のエントリに反応するのもどうかと思うけど、以前オタク女コミュニティに居た頃を思い出したので。
オタク女の一部(あくまで一部)には
な人が居る。
恋愛に掛ける時間と金と手間隙があるならオタク趣味に費やしたい、と心の底から考えている。
でも「彼氏居ない暦=年齢の処女のオタク女」というのは色々とマズいので、大学生位になるととりあえず名目だけの恋人を作るようになる。
あくまで「彼氏持ちor彼氏が居たことがある女」「非処女」という身分が欲しいだけで恋愛がしたい訳ではないので、相手の男はそこそこの見栄えさえあれば誰でも良い。
自分から積極的に探す気も無いので、男の方から寄って来てくれれば好都合。
>男に口説かれ慣れてないから落ちやすいよ。気が弱くて優しい子が多いから頼んだらけっこう簡単にやらせてくれる(もちろんいきなりは論外だけど)。
処女を捨てたいと思っているから、セックスに抵抗が少ないだけ。
>それに普段遊んでないから金のかかるようなデートしなくても大丈夫。奢られて当然って意識ある人も少ない。
金をかけられれば後でそれなりの見返りを要求される。それなら金などかけて貰わなくていいからこちらにも何も期待しないで欲しい、というだけ。
そもそもデート自体、しなくても良いなら別にしたくないのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20070310144826
中学のときに、同じマンションに住んでいて、小さい頃からずっと親友だった子と縁きった。
縁きったというか、同じクラブに所属していて、その子が周りからハブられてきて、そのまま自分もその子といるとハブられると思ったんだろうな
次第に疎遠になっていった。
今でも時々エレベーターで一緒になることがあるんだけど、その時の空気が気まずいのなんの
向こうもこっちも意地になっちゃって、もう一生仲直りなんてしないだろうな
先日、電車で座っていると、六十代後半くらいの初老女性が乗車してきた。混んではいなかったが、椅子は全部埋まっている。
女性は椅子に座っている乗客に近寄ってきて、何も言わずジロジロこちらを見回している。一見、人が良さそうであるが、その目は座席の明け渡しを要求しているように見えた。その姿から、腹黒さすら感じてしまった。
俺の隣の男が席を女性に譲った。大袈裟と言われてもおかしくないほど、ありがとうと言う。その姿を滑稽に思って見ていた俺は、ひねくれた考えの持ち主。
南極に嫁いだ妹が交通事故で死んだので、僕は妹の遺灰を持ち帰るために飛行機で南極まで飛んだ。南極は言うまでもなく氷に覆われた場所なので、氷を掘って埋葬するには酷く手間が要る。遺灰から作った珊瑚礁を海の中に入れようかという意見もあったのだけど、結局妹が生まれ育った日本に遺灰を持ち帰ることになった。かさばる荷物だけをまず日本に送り、たどたどしい南極語で妹の嫁いだ先の旦那さんとその家族に挨拶をし、そして飛行機に乗った。
南極に住んでから七年。その間妹は正月と盆に帰ってくるだけで基本的には氷点下何十度の世界で過ごしていた。妹自身は結構楽しんでいたらしく、南極で立ち小便すると本当に放尿した瞬間から凍っていくんだよ、というエピソードを書き加えたメールを送ってくれたりした。南極語で氷を言い表す言葉が50近くあるとか、そういう話もメールには書かれていた。南極でさえもインターネットが普及しているというのは考えれば驚くべきことだが、これは東芝が開発したペンギンを使った自家発電機の賜物であるらしい。人の居るところにはどこであっても文明が普及する、ということだろう。
飛行機が赤道を越え、日本に到着する。目ぼしい荷物は全て送り返したのでカバンの中はジャケットと南極語に訳された村上春樹の小説ぐらいしか入っていない。もちろん遺骨と遺灰の詰まった瓶もある。僕はその瓶を抱きかかえるようにしてタクシーに乗り、そして適当な駅から僕の家に帰ることにした。ある事情により親とは関係が断絶しているので、この遺灰をどうしたらいいのか迷っていた。その時に事件は起きた。僕は山手線の外回りで目白に帰り、自分の住むマンションに戻るところだった。妹の遺骨にずっと僕は語りかけていた。日本は君がいない間に随分暑い国になったんだよ、というようなことを。
そして感慨に耽りながら顔を右に傾けて空を見上げたところ、横から自転車にぶつかられた。馬鹿野郎、という怒鳴り声と共に立ち止まった自転車が遠くに去っていく音が聞こえる。しかし怒るどころではなかった。僕は妹の遺灰を側頭部に浴びてしまったのだ。慌てて立ち上がり、遺灰を瓶の中に可能な限り戻そうとする。しかし中身が減ってしまっていることは否めなかった。ごめんよ、と僕は遺灰に向かって謝った。マンションに戻って遺灰の前に正座しもう一度、申し訳ない、と土下座して謝った。すると外で何かがぶつかる物音がした。ベランダから下を見ると自転車がゴミ収集車にぶつかり、血溜りが出来ていた。あの怒鳴った男なのだろうか、妹はあの男を殺したのだろうか、そう思うと怖くなった。
それから異変が起きるようになった。僕は全身をきちんと洗った。必ずしも妹の遺灰を洗い流すだけではなく、日常的な所作としても例えば一日の仕事の終わりに風呂に入るというように。そして風呂で明日会社に提出するための書類を用意すべくアイデアを練っている時に不意に、お兄ちゃん、という呼び声が聞こえ始めるようになったのだ。もちろん、僕は一人暮らしなので同居人はいない。僕は妹の遺灰が耳の中に残っているのだろうか、と訝しく思った。昔読んだ怪談物の本で、耳の中に住み着いた蜘蛛が子供を産んでむしゃむしゃと餌を食べる音がずっと聞こえて離れない人間の話を読んだことを思い出した。背筋が凍った。
声は空耳どころではなく、もっとはっきりと聞こえる。それは南極の民謡であったり、南極語の挨拶であったり、村上春樹の小説の一節の朗読であったりした。しかし一番多かったのはやはり、お兄ちゃん、という呼び声だった。棘が含まれているような言い方ではない。可愛らしい呼び方でもない。普通にキッチンで料理している時に背後から呼びかけるように、お兄ちゃん、という声は聞こえるのだ。
ある日、耳が詰まったので耳鼻科に行くことにした。耳の中の押し込まれた垢を吸い取ってもらう。と、何か硬いものが当たる音が聞こえた。医師が絶句しており、看護婦も顔色が青ざめているように見える。一体どうしたのか。耳から機器が外れたことを確かめて僕は横向きに体を寝かせていた寝台から立ち上がる。そして医師に何が取れたのかと聞いてみた。こんなことはあり得ない、と医師は言って机の上に置かれたものを凝視していた。
それは人間の奥歯だった。
たぶん、物事が意味を持つには誰か(何か)の意志によって選択されることが必要なような気がする。
嘘……よく分からん。
適当でごめんね
http://anond.hatelabo.jp/20070310144826
自分は大学1年生のとき。
3人グループで一緒に行動してたんだけど、うち1人が夏休み明けから口をきいてくれなくなった。
心当たりはひとつ。自分は当時失恋で結構独りがイヤで周りに依存して愚痴を言う日々が続いてたんだけど、その流れで寂しかった夜にその1人の家に行って少々無理言って泊めてもらったこと。(勿論同性です)
3人グループのあと1人とはその後もちょこちょこ立ち話はしてたけど、その1人に遠慮して一緒に授業受けることはなくなり。その話をすることもなかったな。
直接相手にした何かの行動が相手を怒らせたわけじゃなくて、普段の自分の態度とかから「こいつは付き合うに値しない」という判断を下されることもあるだろうし、自分の場合それに相当した可能性はある。
でもさ、他の人から見ても「付き合うに値しない」と判断されるほどの常識外れなことをしたかどうか、
縁切りされるほどのことをしたかどうかは実はさほど問題じゃないと思う。
なにか相手に不満があった時にそれを話し合えるような間柄だったか、またはそれほどの付き合いを望んでいたかどうか。
そういう関係の2人じゃなかったら、
どういうところで機嫌を損ねて関係が切れたとしても何もおかしくない。人がどういうところで腹を立てるかなんて分かるようで分からないじゃない。自分はそれを慮る姿勢がありますよってのを見せて信頼関係築いていくことはできるけど、ほんとに理解することはできないじゃない。
……と、今はそんなことも思うようになったけど。
当時は見事に人間不信になって授業出なくなったな。
敗戦国なことも要因の一つだろうけど、それ以上に、イタリア・ドイツみたいなギリギリのレベルじゃなく、一時は世界の経済の中心と呼ばれるほどの復興をきちんと果たしたにもかかわらず、その水準に対応した国際社会的に納得のいくレベルでの保障をしなかったからじゃないのかしら。
成金というだけでもただでさえ腹の底で馬鹿にされるのに、「お前らがどれだけ俺のことを馬鹿にしても俺は金もってんだから偉いんだもん! バーカバーカ!」と田舎モン剥き出しのノリで言い続けたのが景気の良い頃の日本。そりゃ、痛い目見せられてまだ貧乏な国は一悶着起こそうとするだろうし、直接的に利害のない国も「日本に味方すると俺らも田舎モン扱いされて損しそう」ってフォローに回ってくれないんだから、そりゃ話もこじれるわな、と。
ちょっとネタっぽいのを2本セレクト
ちょっと分厚いというかかなり分厚い827ページ。
よく綴じれたなというか綴じれてない。
読んだ傍から落丁していくので中古はやめとけw(文庫版は上下巻分割)
ちょっとプレゼントには高いか。
間取り収集家佐藤による間取り図(不動産屋のチラシにのってるアレ)のコレクション。
カバーにちょっとした仕掛けあり。
実生活で言ってもブログで言っても炎上確実なので言わないが、原爆は
とは考えていないが
と考えている。
たまたまあの時期に交戦していたのが日本だっただけで、めぐり合わせがちょっと違えばドイツやイタリアあたりにすかっと落ちている可能性は高かった。どこかに落とす必要があったんだよ。
だから、鬼畜の所業とは思わない。とても人間的だと思うよ。怖いから落としたんだ。試してみたいから落としたんだ。いろいろあって落としたんだ。
鬼畜の所業とかいうけど、そういう凶暴な面を含めての人間なんだ。それをわからない奴が、よく「サヨク」ってやつになるだけだ。
んで、インセンティブをうまく操ってやれば人間はいくらでも優しくだってなれる。それをわからない奴が、よく「ウヨク」ってやつになる。
どっちも、まったく間抜けな話だよ。