はてなキーワード: ランタイムとは
ふと思いついてWin XP SP3をインストールした 特に不具合はなし
ただX-GUARDが起動するたび
XTRM VB Runtime.msiを指定してインストールしろだの出てくるので
XTRM VB RuntimeやらX-GUARD入れ直したりしたが駄目で
そこでググったところランタイムのバージョンがふるいんじゃね?
Visual Basic 6.0 SP6 ランタイムライブラリを入れたらいんじゃね?
と言われ入れたら解決した
とにかくXTRM VB Runtimeの関係のが先に進まない場合
↓の入れれば解決するってこった
Visual Basic 6.0 SP6 ランタイムライブラリ
http://www.vector.co.jp/soft/win95/util/se188840.html
俺はAdobeの旧Macromedia部分が嫌い。こいつらは10年以上大風呂敷だけ広げて見せてるだけだから。
でも世の中がそれを必要とするってんならそれぐらいは認める。
で、AIRってなんじゃいと思ってみたらただのローカルアプリケーション開発環境だった。しかも統合されたもツールらしきものは無く散発的な既存製品とランタイム。なんじゃそれ。相変わらず手抜きだな。
ネットワークプラットフォームとか言ってるけど要するにやりたいのは単純にFlashによるローカルアプリケーションを書くこと。むしろネットワークとは逆の方向に影響力を伸ばしたいって訳で、それなんてDirector?
時代に合わせて表現にFlashやHTMLやJavascriptも使えますよってことだろ?じゃあそういえよ。で、まーた2、3年したら放り出すのか。別の新機軸を取り入れて鋭意開発中って言い続けて何年経つんだよ。
いいからさっさとIllustratorのバグ取れよ、このハッタリ会社め。
これひどいな…。誰もつっこまないのか?
>>「ランタイムなどを使用せず」というのは無理です。C/C++の標準に、ネットワーク系の関数が無いからです。たとえばWindowsなら、Winsockライブラリが使用できるので、それを利用することになります。<<
質問している人が言うランタイムって別途配布する必要があるライブラリのことだろ?最初からインストールされているWinsockや静的にリンクできるライブラリは別物だろ?
>>WindowsだとC++で書いてもMFCを使っちゃうとランタイムが必要ですよ。<<
これも静的にリンクできるよ。ひょっとして入門版の開発ツールを使ってるのか?
ブックマークでも人気のこちらを見て考えた。
80年代に隆盛を誇った8bitホビーパソコンの追憶の詩と映像である。若くてそんなの知らない向きにはこちら→Wikipedia 8ビットパソコン、ホビーパソコン
要するに貧相な計算能力ながらようやく「人間にも分かる」表示能力と発音能力を持った初期のパソコンの、ユーザーがその表現をプログラム側からながら自由に扱うことができるところに面白みのあった一時代についての懐古である。曲も素晴らしい。
もちろん私も8bitホビーパソコンのストライクゾーンユーザーだったわけで上記クリップの言わんとする感じは良く分かる。逆に世代が違うとそれだけでこのビデオ作品には何も感じないかもしれない。
しかしそんな懐かしズムについて語りたいわけではない。いや、むしろ猛然と語りたくてしかたないのか。ともあれ、この国産8bit時代に我々現30代はアーダコーダと雑誌を横に機械語まで弄ったりしたのだ。頭の柔らかい中学生ぐらいだから理系とか関係なく自然と言語を取り扱えた。いきなりバイナリでコードを組んでる姿は親からみたら異星人だったに違いない。それでもクラスに数人はいたはずだ。希少種というほどでもない。
そこで疑問に思うのがそんな我々30代が社会で中堅と相成った現在において、この日本のソフトウェア産業のレベルが低いのはどういうことなのだろうか。かように自主的にコンピュータの実習をしてきたにもかかわらずだ。
怪しい部分はいろいろある。
8bitパソコンにうつつを抜かしている間言われたのは「プログラマーでは食っていけない」という呪いだった。実際、私も特性があったとも思えないが選択肢から最初から除外していた。この辺の妥当性は現在プログラマーの人のコメントを待ちたい。外見的にはWebプログラマーとして人材が流れ込む現在とは対照的だとは思う。
また、90年代の停滞だ。Macintoshの廉価版と続くPC/ATとWindows95の普及まで「パソコン」は暗黒期にあった。さらに言うと2000年ごろのウェブプラットフォームが現実感として開けてくるまで80年代のような「パーソナル」さはなかったように思う。
思うに、80年代のパソコンと90年代(後半)以降のコンピューティングは全くの別物だったのではないだろうか。
そこで8bitパソコンがなんだったかというと、実際はパーソナル「コンピュータ」ではなくパーソナル「メディア」だったのだろうと思うのだ。(当時ログインで伊藤ガビンがPCメディア論を振るっていたが、ここではもっと画用紙同様の素直な意味である)今からみると惨めな表現力しかないのだが自由に、難しい表現だが、扱うことができた。サラリとその場でBASICを組めばキーに音を割り振れるような自由だ。いくつかの8x8マスのカラフルな独自“文字”を設定してテレビ局しか触ることのできなかったCRT画面を芝生“文字”や樹木“文字”で埋め尽くし草原にしてしまう自由だ。
特に当時は計算能力に限界があったためユーザーも遅くて動かないアルゴリズムに凝ることより表現に凝ることに走ったのかもしれない。
ゆえにコンピューティングの正統な進化たるMacintoshやPC/ATではそれを引き継ぐことはできず、ラピッドプロダクションで表現を行うメディアであるウェブの普及までその再来感覚がなかったのだ。
そしてこれはコミック(60年代??)、アニメ(70年代??)と続きゲーム(90??年)が引き継いだ日本のサブカルチャーの基底をなす一つでもあると思う。
だから大人になったパソコン少年※が作るのはウェブプラットフォームランタイムではなく『PC-6601が歌うタイニーゼビウス』なのである。
あいつらのほとんどは所詮実行環境に過ぎん。
自己書き換えがほとんど不能なランタイム・エンバイロメントである。
機械ではなくて人間なのだから、法適用時に極力社会リソースを必要としない方向へ改善する圧力を自己としても持ってほしいものだが…
それは政治家の仕事ではあるが、政治家が常に法律家、しかも単なる実行環境ではなく実行環境を自ら改革する意思を持った法律の専門家たちを必要とするようになんとか持っていけないのだろうか。
SEの仕事には顧客企業における無駄な手続きや申請を合理化したり、闇に隠れていた秘密の手続きを明らかにしたりすることが含まれる。
そしてその会社をコンピュータを入れるという名目で合理化することで、世界を変えている。でもあいつらは。
また、社会学者や経済学者の視点で読めばおそらく社会が「誤ったインセンティブ」で導かれてしまっているのが手に取るようにわかるのだろう。
正しいインセンティブで導かれれば減少する不幸がどれだけあることか。でもあいつらは。
昔持っていた敬意はどこかへ雲散霧消してしまったよ。
パン屋の旦那と同じくらいには尊敬できるけど。
いや、パン屋の方がやっぱり尊敬できるな。
パン屋の若旦那は工夫をこらした新作パンを創造してくれるもの。
法律家にはそれがない。