2024-05-22

それはもう大都会超えて隔界

東京大阪のような大都会特有事情を聞いていると、なんだか怖くて面白い

例えばある東京在住の人が、東京都心のトイレマップを頭に叩き込んでいると言うので理由を聞くと、気軽に入れる公衆トイレほとんど全くないし、駅のトイレは汚すぎるからと言っていて目から鱗トイレが見つからないままさまよい続ける可能性があるらしい。なんとも怖いが面白い

また東京の人や大阪の人と遊ぶと、疲れたからカフェはないかと言う。甘いものがほしいの?と聞いたら座りたいというので、ベンチがあるけど座る?と聞くとちょっと驚かれる。聞くと大都会ではカフェしか座って休めないらしい。な、なんということだ。

それから私が大阪に行った時、バス停バスを待っていたら、近くの歩道渡りながら大声で良くないことをたくさん叫んでいる中年女性がいた。思わずみんなそちらを一瞬見たものの、次の瞬間にはもう元通りだった。怖いね、というと同行者は「これが大阪から」と言っていた。バスに乗ると今度は年齢不詳男性が甲高い声で独り言を言っていて、なるほどこれが大阪なのだ理解した。

そこまで大都会ではなく、かといって不便でもない地方都市に住む私は、こうした話を聞いて都会の大変さを学ぶ。それはもはや大都会を感じて大きな隔たりを感じる世界、縮めて隔界のようだと思う。しかし心の何処かではそれに憧れもする。大勢人間の渦に混じって、私もその渦の一部となり、自我輪郭をやんわりと失いながら、大きな流れに飲み込まれしまいたいという憧れが。今住んでいる場所にもそんな流れはあるが、大都会ブラックホール的な強大さにはとても叶わない。憧れ、恐怖、そして好奇心。そこには確かに人々の日常があるはずなのに、私は大都会の話を聞くと、いつもそんな隔絶された世界を思い浮かべてしまうのだった。

  • コンビニアプリでイートイン検索しても 16時以降はガキが屯うから利用禁止 とかあるしな

  • イケハヤせんせい何してはるんですかー

  • でも美術館があるから。 休憩も美術館でするよ。 トイレも美術館。

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