2023-06-01

人に「センスない」って言っているやつが一番センスない

https://qiita.com/saetegaljewp/items/60a3580d8f08a53679c6


センスのあるなしではなく、

誤って語っていることを、誤りだと指摘されているだけです。


存在措定が問題になるのは「会話の含意」「伝統的論理学」の文脈においてであって、

現代論理学、数理論理学においては、存在措定は問題になりません。

なぜなら、現代論理学存在措定してないからです。


伝統的論理学は「存在措定」しているから、問題になります


伝統的論理学三段論法説明します。(以下の例は存在措定してる例)

1.すべてのSはMである

2.すべてのPはSである

3.あるPはMである

このとき、Pであるような何かが存在しない限り、1と2から3を導くことができません。

したがって伝統的論理学は隠れた前提として「存在措定」が成されている、と指摘されているわけです。


現代論理学はそのような存在措定をしていません。

からこそ、空集合を前提しても、命題が真であることを帰結できるのです。

そして、ここでセンス云々問われている問題が前提している論理の体系は、現代論理学であって、伝統的論理学ではありません。


なので、存在措定の話はしないでください。

それは伝統的論理学文脈の話であって、もともとの話が前提してる数理論理学とは直接的関係を持たない話題です。


しかし、命題にはP(x)に対する前提が隠蔽されており、この「P(x)なもの存在する」という隠れた前提(これを存在措定と言います)を勝手に補って読んでいるのです。

存在措定してるのは、「前件が空集合ならfalseが返されるべきだ」と主張してる側であることを理解してください。

なぜなら、「存在していないもの命題Pを適用できないはずだ」という主張は、まさに、「集合に対する存在の措定」を前提しているからです。

trueを返すべきと主張する側は、そのような「集合に対する存在措定」を前提していないからこそ、trueが返るべきだという話をしています

前者が伝統的論理学であり、後者が数理論理学立場です。


また、プログラミングにおいては、論理の体系を自然言語に近づけるべきだとは、(私は)考えません。

しろ自然言語あいまいさを排除されるべきだと考えます

そして、自然言語あいまいさを排除すれば、「AならばB」という文の意味論理包含となります

まり、前件が偽であれば、命題は真となります


実装仕様がどうあるべきかという議論は、まず、この前提に立ったうえで行われるべきです。

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