多くの目に晒される人は素を見せずにキャラを演じたほうがいざという時ダメージが少ないってあって
確かにそうだなあと思ったんだけど
Vtuberが流行ったときも、一次ブームはコテコテのキャラづくりから始まっていて
より演技し続けられる人が勝ってたんだけど
やはり時代には逆らえないと言うか
演技しきれなくなって、ガワが崩れて、素が出てしまった結果好まれるみたいなケースが多発して
今では「キャラクター」ではなく「キャラクターを演じてる誰か」というコンテンツになりつつある
どこがバーチャルやねんって感じなんだが
この状態ってノーガードだから結構危険だと思うし、誹謗中傷でちょいちょい休んだりメンタル崩してる人も居るんだけど
見た目の部分でガワを着ていて、人間関係や家族関係などプライベートなところをうまく隠してるので大事故になってないのかも?と思った
そう言う観点で見ると、生身のライバーよりラジオ的な、プライベートが「垣間見える」くらいの塩梅の方が素を出しやすい側面が有るのではないかと、そういう仮説を思いつける
しらんけど
キャラ作っているタイプの人は長時間見ていられない。なんか見てる方も疲れるから。 そういう意味では側をどんなに作り込んでも、人間が本来持っている人格や魅力は誤魔化せないだ...
垣間見える「素」まで含めてキャラクターとして設計されてると思うよ。 特に企業勢からデビューするようなVは。
どこがバーチャルと言うが、その方が本来のvirtualの意味に近いんだよなあ
Vtuberが流行ったときも、一次ブームはコテコテのキャラづくりから始まっていて 言うほどそうだったか?
今どのvtuberの事考えながら喋った?
キズナアイ→脚本どおりに喋ってる 輝夜月→演者の別名義の振る舞いと大して変わらない ミライアカリ→演者のアドリブで設定に反して下ネタなど多用 電脳少女シロ→演者のアドリブ...
キズナアイとて活動後期の生配信に出てくるようになってからは完全に中の人だしな