2021-07-24

ぐったりと椅子に沈み込む老人を見た。

このくたびれた老人は何だろうと思った。

中学卒業式のことを思い出した。

在校生のみんなが見ているんだから、背筋伸ばして座れって、背中に定規をつっこまれたりしたな。そういえばあの怖い学年主任体育教師だった。まぁそれは、いまは話が逸れるけど。

 

世界中配信されてるって、みんなが見ているって、わかっていてこの姿勢になれるのか。

人前で、深く深くくつろいで腰掛けるのは、失礼なんだと思っていたな。

目上だと設定された人間は敬えって、

仮に心の中で敬っていなくても敬ってるように見せろって、

社会ってそういうルールじゃなかったのか。

 

世の中はめんどくさい。

めんどくさいと思いながら面倒を分け合って成り立たせているのが社会なんじゃないのか。それぞれ個人の中にある大小のルールや、ズルや、そういうものをなんとか綯い交ぜにして、成り立たせている社会じゃないのか。

自分だって性格が良いとは言い難いし、ときどきはズルをするし、仕事では根回しだってするし、そりゃあ、清廉潔白ではないけれど。

それでも、自分だって、嫌だなと思っていたって、顔だけは笑って仕事をしている。社会をやっていくことを自分で選んだ人間の、最低限の態度として。


あーぁ。


書ききれないほどある政治的暗部のことは、とうに諦めている。いまさら書き立てる気力もない。

ただ、その席は、この国の象徴かいう面倒な概念を生まれついての血縁関係義務付けられ、避けようもなく重い責務をつつがなくこなしてくれている方の、その隣の席は、お前が座りたくて座った席なんじゃないのか。

お前は、お前が選んで、その席にいるんじゃないのか。

 

まらなそうに腰掛けるな。

嘘でも、背筋を伸ばして座ってくれ。

  

  

でも、どうでもいい。

どうでもいい。

よくないけど。


とにかく、あの15秒にも満たない開会の映像は、自分の中にあった規範意識だとか、もしかしたらなけなしの郷土愛だとか、そういう類の何かを折った。

からといって、別に、何か自分の行動を激しい方向に変えるわけではないし、自分はそれなりに働き盛りで、それこそこの1年弱は本当に、目の前のことで精一杯だ。これから法律ルールを破る気はないし、払うべき税金は払うだろうし、道で困っている老人がいれば手を貸すだろうと思う。

これは愚痴なので、別に意見とか答えとかを自分の中で出すつもりもない。

ただの2021年日記として書き捨てる。


嫌な絵面だったな。

これからも、自分たちの世代は、老人共の昭和の後片付けや死に際の夢に付き合わされる。

諦めている。ただ、こんなにも背筋そのものが抜き取られるような虚しさは、二度と味わいたくはない。

たぶん、これを虚無感と言うんだと思う。

忘れない。

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