2021-03-08

女性社会運動保守的存在犠牲にすべきだ

「絆」の危うい弊害災害女性学提言する研究者は「ネットワーク」を訴える。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_603c6d46c5b6d7794ae0177a

  

女性たちが立ち上げる"運動"や"活動"に入る"女性"という言葉

問題なのは、"女性の"、"女性のための"とつけることによって

保守的存在の扱いを無視していないかとうことだ

(もちろん、女性たちは包括できると主張するだろうが、私はそうは思わない)

保守的女性にとって、進歩的女性リーダーシップを取ることで

女性男性が、女性進歩的女性に代わるだけではないのか

(まぁそうならないために"女性"と一括りにしていると思う)

保守的女性にとって、その位置関係であるなら進歩的女性が目指す社会にとって

保守的女性は旧来の状態にとどまることを意味する

  

混乱させるかもしれないが、私は別に保守的存在犠牲にするのは全然かまわないと思っている。

私サイドの男性活動を見ると、"男性の"、"男性のための"とはあまりつけない

そもそも男性にとって集団内部で常に優劣が存在している

進歩的男性にとって保守的男性は下に見てるし、また保守的男性進歩的男性を下に見ている。

ここらへんは女性も同じだと思う

90歳の祖母がいるけど、男はキッチンに入るなとか平気で性差別主義者のようなことを言い出すし

でもそれがこれから犠牲になっていく保守的女性ってことなんだと思う(それを女性教育してなんとかなると思うのだろうか?)

私は全然かまわない、男性であっても同じだ

男性女性保守的な人は差別的だし、進歩的はその保守的な人に対して差別的

  

私が言いたいのは、"女性"とつけることによって保守的存在も包括してしまい、

犠牲になるべく保守的存在も生き残らせてしま可能性があるということだ。

  

もちろん、"女性"と付けざるを得ない根本的な問題には触れていないし、私はそのことに対して解決策を持っていない。

ただ根本問題によって派生的に生じた問題だと思う。

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