隙のある差別的な論理を断定的な口調で書くとすげー叩かれて面白いんだけど、この「自分の行動がボコボコに叩かれてるのに別に悲しくない、むしろ楽しい」って状態に結構憧れるんだよな
要は他人事なんだよ 自分の本当の意見じゃないと思えるから何を言われようとダメージはない この精神を人生全体に適用したいんだよな
でも条件がなんなのかわからない 本当に思ってることを表に出さなきゃいいのか?っていうとそれも違う気がする アドベンチャーゲームなんかやってて素直に選択肢を選んでいった結果登場人物全員に糾弾されるようなルートに行ったとして、マジで落ち込みはしないだろう これは「所詮ゲーム」みたいな意識のおかげでまた違う話なのかもしれないけど
とにかく、やりたいように振舞って結果は適当に受け止められるようになりたいんだよなあ
社交の場に行って「今日は陽キャっぽく行こう」と思い、その辺の知らない人に話しかけて友達になろうとしてみたりする それで気持ち悪がられたとしてもその気持ち悪さは「陽キャ」の自分に向かうものだと割り切ってノーダメージで済ませられる そういう感じで生きてえよ
重松清(訂正→森絵都)の「カラフル」ってそんな感じの話だった気がするな
ワイという統合思念体に加わるといいやで いや加わるべきやで
人格崩壊すると思うけどなぁ。やってみたら?
たぶん、やられたばあい。いま報告がき始めてる。
うまくいってない奴はだいたいにおいて行動の結果を自分の人格やこれまでの人生に絡めてとらえがちなんだよな
ゲームの主人公に自分の名前入力しないと楽しめない方?
無気力無関心になればいいんじゃない? 大切なものがなければ傷つく心配もしなくて済むから 守りを考えずに振る舞える。
したいとかどうとかうだうだ言ってないでやれ したいと思ったらやれ やれ どうせいつか死ぬんだから死ぬ前にやれ とっととやれ
家族や職場やご近所の人間関係に一切影響のない増田だからできるのでは?
人生を大事にしたい