不倫報道の是非とか不倫が良いことか悪いことかなんて問題はこの際どうでもいい。今回の小室哲哉の不倫報道にはただただ不愉快な気分にさせられた。
ベッキーの不倫報道は笑えた。テレビで見せる健全なキャラクターとのギャップや「センテンススプリング!」という迷言、ゲスの極み乙女というバンド名、どう料理しても笑いになる要素ばかりだった。万人の下卑た好奇心を十二分に満たしてくれる、きわめて週刊誌的なゴシップだった。
ひるがえって今回の小室哲哉の不倫報道はどうか。元から特に健全なイメージがあるわけでもない小室哲哉、障害を抱える妻と6年にわたる介護、妻の実母への突撃取材。どの要素もまったく笑えない。ベッキーのときのように下品な娯楽として消費しようとしたのに、自分の親のセックスを目撃してしまったかのような、他人の恥部を見ているはずなのに自分の恥部を見せつけられているような、そんな気分にさせられる。きわめて後味の悪いゴシップだった。
週刊文春が正義のためにゴシップ報道をしているわけではないのは誰もが知っている。彼らがゴシップを報道するのは金儲けのためだ。そして、なぜ人々が週刊文春のゴシップに金を払うのかといえば、それはどんなに下品なものであってもゴシップ記事を読むのが楽しいからだ。この基本的な原則にそって考えると、今回の小室哲哉の不倫報道が週刊文春にとっても最悪なのは、読んでもまったく楽しくないという点に尽きる。先日の三森すずこの交際報道についても言えるのだが、最近の週刊文春によるゴシップ報道は単純に読者を楽しませる力が弱いという点で質が低い。いい気になって「文春砲」などと自称しているようだが、そのうちネット上でもはちまや刃と同じような扱いになっていくのだろう。
ベッキーの件だって笑えなかったよ 笑える要素そのものが痛々しかった