2017-01-18

目があるから不幸になる

私は不幸だと嘆く人を良く見る。実によく見る。

じゃあさ、その人達にとっての幸せって一体何があるんだろう?

不幸だ、と嘆く人の殆どにとっての幸福はあまり具体的ではない。

それは一体何故か。

不幸の本質を見間違えているかである

最近インターネットSNSが普及し、他人簡単に見ることが出来る様になってしまった。

他人自分との比較がいとも簡単にできるようになってしまっているのである

その結果、あの人と比べて自分は不幸だ、との意見がでてくる。

まり現代における不幸とは、必ずしも全てでは無いが、少なから比較によって齎される感情なのである

そこには少なから評価というプロセスを介するだろう。

その評価をしているのは、意外と気づけないが、他ならぬ自分自身である事が多いと感じる。

すなわち、不幸な人というのは他人を見すぎる目をもっている、と私は考えている。

比較をすることな幸福や不幸といったランク付けをすることが出来る様になればそのような問題から解放されるのだろうが

残念ならがその感情はほぼ比較からまれものでもある。

コタツに入り、ストロベリーアイスでも食べながら好きな映画を観、幸せだなぁと思うことのできる人間こそが

最も目指すべき存在ではないだろうか。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん