私は不幸だと嘆く人を良く見る。実によく見る。
不幸だ、と嘆く人の殆どにとっての幸福はあまり具体的ではない。
それは一体何故か。
最近はインターネット、SNSが普及し、他人を簡単に見ることが出来る様になってしまった。
他人と自分との比較がいとも簡単にできるようになってしまっているのである。
つまり、現代における不幸とは、必ずしも全てでは無いが、少なからず比較によって齎される感情なのである。
その評価をしているのは、意外と気づけないが、他ならぬ自分自身である事が多いと感じる。
すなわち、不幸な人というのは他人を見すぎる目をもっている、と私は考えている。
比較をすることなく幸福や不幸といったランク付けをすることが出来る様になればそのような問題からも解放されるのだろうが
コタツに入り、ストロベリーアイスでも食べながら好きな映画を観、幸せだなぁと思うことのできる人間こそが
最も目指すべき存在ではないだろうか。
そんな感じで最近Twitterやらやめてしあわせ