日本に住む人間のうち、ほとんどは虚言癖だと、とある修行僧が言っていた。
それに対し、最初は「なんだそれ?わたしは嘘など言ったことがないが」と反論した。
続けてその修行僧は言った。
「あなたは広くて空いている歩道の右側を歩いている。正面から人が歩いてくる。あなたにぶつかる。あなたは『すいません』と言ったことはなかったですか」
「あなたは混雑している電車に乗っている。もうすぐ着く駅で降りるのだがあなたのいる位置は、車両出口から遠い、車両の中ほど。電車が駅のホームに着き降りる際に『すいません』と言ったことはなかったですか」
「遅れている電車のアナウンスで『お客様トラブルにより』という理由に続けて『ご迷惑おかけして申し訳ない』と言うのを聞いたことはなかったですか」
すべてわたしの答えはYESだった。少しの沈黙からその修行僧はこう続ける。
「全力で良いことを他人にし、相手から感謝されたときにあなたは『いえいえとんでもない』と言ったことはなかったですか」
「絶対プライベートでは飲食を共にしない他人に会食後に『ぜひまた』と言ったことは」
わたしは沈黙しかできなかった。だが、日本はそういった文化なんだ。それにより永く関係を持てる国なのだ。こうしてわたしはここに立っているし、今の地位を築いている。それは嘘ではない。
「虚を虚であると認識できない事やそれを文化とするのは思考の停止です。一番最初に私がした質問へのあなたの答え、それがそもそも虚なんですよ」
全否定は無意味だといつも教えているだろうが
仏教大学でやれ、クソザコナメクジ
see you. 再見.
そういうのは女子高生が熱心に語るのが最近のトレンドだぞ
お疲れ様でした お世話になってます 良いお年を お先に失礼します
コイツが自分の言葉では何も語れず、尚且つ一部を知っただけで全ての国民を語り、尚且つその国以外も知らずに社交辞令は日本独自の文化だと思い込んでいる大ウツケだってのは分か...
「でもおマンコなめたことあるよ?」 「拙僧の負けでござる」
嘘話ばっかする虚言癖と、建前上の礼儀は別物ではないかと思うんだ