twitterでブロックを多用しまくって問題になってた方が複数いた。当然その行為に対する反論をきちんと受け止めつつ、穏やかにやってる人もいるのだが、
中にはそのような行動を批判された時、自分の行動は自由なのだから批判されるのはおかしい!と反論する人もいる。
ここに一つの問題があると思う。確かにわかりえない人はブロックするよりほかはない。そして機能上、ブロックは自由だ。だけどもそれに対して反論する自由があるというのも認識するべきではないか。
ブロックにしろ大量の批判メンションにしろ、自由ではあるけどあまりにひどい理由で批判を飛ばしまくったり、主張に対する正当な意見をブロックで封殺する行為を過剰にやっていれば、それは批判が来るのも当然じゃないのか。
ちょっとでも気に食わないのは全員ブロックして封殺してやる思想で、肯定意見送った人までも傍から見たらないも同然の「考えの違い」で批判者とみなす考えもあるようだけど、ツイッターに書いた意見は全世界に公表されているのだ。批判が絶対に全く来ない状況が望ましいと思うのなら、鍵をかけたり、あるいはツイッターではない、もっと参加者の限定された場でやるべきではないのか。
世の中には色んな考えの人がいる。その現実を受け止めて、もう少し寛容に、対話を重視するべきではないのか。それを怠って、一方的に敵認定する行為していれば、そりゃあ「批判する自由」を行使されて批判されるのも当然なのに、ここで自分が批判されるのはありえないんだ、と言われるのは何かなあと思う。
ブロックしまくって問題になってる時点でそもそも穏やかとはちょっと言い難いような・・いやもっとひどい人よりはマシというのはわかるけど。