2015-09-27

いかに安全な失敗の経験ができるかを競うギャンブル

学校地獄だ。

思春期以下の未熟な精神を持った人間を一同に集めれば、確実に何らかの失敗をやらかす。

「何をするとまずいか」という知見を持たないためだ。

教師に任せるにも限界があって、学校内外で教師の届かない場所は確実に存在する。

失敗の被害者の何%かは、取り返しのつかない傷を負う者もあらわれる。

早く社会に出せばいいかというとそうでもなく、

社会に出てから失敗をするよりも、学校という閉鎖された環境での失敗のほうが、外への影響は小さい。

社会的リスクヘッジだ。

根本的には

ため、人は人生において必ず失敗する、という問題がある。

失敗が、時間が経てばなんでもなくなるか、あるいは取り返しがつかない被害を生むか、というのは運でしかない。

結局、学校は人に失敗を経験させる場としての機能があり、

学校に通う者の何%かは取り返しがつかない失敗の被害により一生ものの傷を負う。

そしてその被害者の決定はランダムである、ということだ。

水槽脳か何かで、100%安全な失敗ができる環境の整備が望まれる。

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