「時に君,数学をするとはどういうことだろうか考えたことはないかい?」
「どうした急に.」
「いや,なんというかたまにすごく不安になるんだ.僕の思っている数学とは,実は数学だと思い込んでいるなにか別のものではないのかと考えるんだ.なんというか,ただの計算に過ぎないというか,実は本当の数学というものを分かっていなくて,わかったふりになってしまっているような,そういう不思議な気分になることが多くてね.」
「なるほど,わかったつもりになっていると」
「そう.たとえば積分をやれと言われればできる.間違いなくね.簡単なもんだ.それは高校の時から余裕でできるわけだ.しかし,大学に入ると,積分とはこれこれこういうものだ,ということを改めて習うことになった.イプシロンデルタ論法というやつだね.それを考えると,高校の時に普通に使っていた積分を説明していた定義とはいったい何者なんだということにならないかい?高校の時の僕は何をもって”積分を理解”していたのか.なんだかただただ騙されていただけに過ぎない気がしてね.」
「ははあ.その厳密な定義以前の自分の理解がすべて虚構の上に立っていた,そういうことかい」
「そうそう,わかったふりになっていただけだなぁと.そう感じるわけだ」
「しかし君,最初からイプシロンデルタ論法を話して皆が理解できるとは到底思えないよ.だからはじめはわかりやすいが,しかし一部で微妙なウソ,ウソというと言い過ぎかもしれないが,少し論理に飛躍のあるちょっとわかりやすい作り話のようなものでごまかして,とっつきやすくしてやったほうが,最終的にもっと深く理解できる人は増えていくだろうし,それはそれでよいのではないか?」
「しかし,そうやってわかっている人が微妙なウソをつくと,僕の知っている知識すべてがそんなことの集合になっている可能性が浮上してしまって,すごく不安になるんだよ」
「そうはいっても,すべての事柄について詳細なところまで厳密に知ろうとしても,人間の生活には限界があろうよ.やはりどこかで妥協する境界線があろうよ.」
「確かにそうだけどよ.そうやってると,どれが正解なのかすべてを知る人は誰もおらんようになるなぁ」
「まあな,でもそれができたらそいつは神だな,おそらく」
「確かに」