はあちゅうが雑誌メディアに書いた記事で他人のツイートを利用するさいに、「有名な豆腐のたとえ話がある」としか紹介せずに、元の投稿者の不評を買い、訴訟沙汰にまでなろうとしているらしい。
確認しとくとはあちゅうが自分の文章として発表したから騒動になっているのではなく、引用元を明かさずに利用したから元投稿主とトラブルになっている。
2年前に1万RTされたこの有名なツイートを、「有名なたとえ話」としか紹介していないことについて、元投稿主及びこの騒動を眺めるギャラリーのほぼ全員が不満に思っている。
2つ疑問が湧く。
1.どの程度経過した文章なら「有名な話がある」として受け入れられるのか
「法的な著作権期間が過ぎたら」なんてつまらない回答を聞きたいのではない。有名な話としてブログやtwitterに書いてる文章。出典がどこまで確かめられているのか。ネットで人気のあるエスニックジョークは元作者を確認して出典が記されているのか。元作者が分からなければいつどこで書かれたか分からなくとも有名な話として利用していいのか。最近読んだ新書でも「中国の話として」「韓国の話として」と誰が言い出したか分からないネットで見た話が書かれたりしていたがそれはいいのか。「有名な話」として紹介されることが受け入れられている文章と受け入れられない文章の2つがある。その違いをどうやって読み取ればいいのか。
2.自分のツイートが他人の文章に利用されるときにどこまで許すことができるか。
今回は出典元を書いていない、リンクを貼っていないが許せないとなったわけだが、この許容の度合いは人によって変わるだろう。
②何の注釈もなく利用した
③「有名な話」として利用
④「有名なツイート」として利用
⑦「○○さんのツイート」として利用
上になるほど許せない度が増していくのは誰でもそうだろう。「有名な話」として利用されると作者不在のコピペとして扱われている感じがしていい気はしない。「有名なツイート」だと元ネタがtwitterだと分かっている感じがしてその辺の不快感は低くなる。「1万回もRT~」と修飾文がつくと自分のツイートと特定されていると安心はできる。「あるツイッタラーの~」なんてのになると何で名前伏せるんだ、といい気はしない。ここまで行くなら名前を出せと。WEB記事なら埋め込みタグ使え、と思いつつ、ギチギチと他人の文体に制約をつけるようなことまでは求めない。